女子プロ野球の混乱については、今、取材の準備をしているところだ。いろいろ話を聞いて記事にするつもりだ。
女子プロ野球の混乱は、ここまで10年、ほぼ1社でリーグを運営していた「わかさ生活」が、リーグを維持しきれなくなったことに端を発するが、経営陣がそれでも「先行者利益」に固執したために、他の資本を導入できなかったのが今の混乱につながっている。

71人いた選手のうち半数が解雇されたが、この中に「美人すぎるプロ野球選手」加藤優も含まれていた。
彼女は、女子プロ野球に翻弄されたといってよいだろう。
女子プロ野球は注目度を上げるためにいろいろなキャンペーンを行っていたが、加藤は「美人すぎる」という触れ込みで、スター選手に仕立てられた。
キャリアSTATS

Yu-Kato


外野手として立派な成績を上げてきたが、彼女が野球で報じられることはほとんどなかった。

美人すぎる野球選手が、何を話したとか、だれと会ったとか、「美女セブン」で何位に入ったとか。
女子野球の雑誌でも何度も表紙に載った。

自分の容姿を褒められて悪い気はしなかっただろうが、当たり前の話だが、彼女は野球選手として身を立てたかったはずだ。

リーグ側は彼女を利用してお客を集めようと思ったが、そのやり方が稚拙だったし、本当に女子野球が好きで通っているファンにも反感を買うようなものだった。

「美人すぎる」という言葉は、下品な言葉である。この言葉には「(そうでない人が多くても不思議ではない)この業界にしては珍しい」「こんなところにいるのは勿体ない」というニュアンスがある。人を美醜で差別しようというさもしい根性が根底にある。その上にそのジャンルに対する蔑視、軽視の底意もある。こういう言葉を多用する人は、そのジャンルに対するリスペクトはないと考えてよいだろう。

また「美人すぎる」選手の周囲には、「嫉妬」「やっかみ」など様々な感情が渦巻くはずだ。彼女だけが優遇される。彼女だけが注目される。そういう無用の混乱をはらむという点で、「不幸な言葉」だといえるだろう。

競馬やゴルフ、政治の世界などでも「美人すぎる」という言葉が使われる。共通するのは「男尊女卑」がきつい社会だということだ。男目線で女性を「性的対象」として品定めした結果出てくる言葉だといっても良い。

「美人すぎる」という言葉は、そういう「品下がった」言葉だから、本人を幸せにすることはまずない。加藤優がどんな人生を歩むかはわからないが、「美人すぎる」と言われた時期を「良い思い出」として振り返ることができればいいが、と思う。

口さがない現代社会である。「美人すぎる」を使うなといっても無理だろうし、目くじらを立てても仕方がないかもしれないが、私は野球が好きで、リスペクトしているので使わない。


榎本喜八 安打あれこれ

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