元日に死去。たまたま大記録を残したために球史に残ってしまった平凡な選手である。

1929年生まれ、高校卒業後セントルイス・ブラウンズに入団。

キャリアSTATS

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マイナーでは制球力がよくなく低迷。それ以外に「遊び好き」で野球に身が入らなかったという情報もある。

1951年徴兵されて徴兵戦争に従軍。ただ戦場にはいかず。野球選手であることがわかってからは陸軍の野球チームにいたという。

復員後にメジャー昇格。しかし制球力が悪くパッとしない。

1955年に17人もの選手が絡む大トレードでヤンキースに。ホワイティ・フォード以下の先発陣に加わる。

そして1956年のワールドシリーズ5戦、ドジャース戦で完全試合。
 1番ジム・ギリアム、2番ピー・ウィー・リース※、3番デューク・スナイダー※、4番ジャッキー・ロビンソン※、5番ギル・ホッジス、6番サンディ・アマロス、7番カール・フリーヨ、8番ロイ・キャンパネラ※、9番サル・マグリー、代打デール・ミッチェル(※は殿堂入り)と言う錚々たる打線をパーフェクトに抑えた。
ヤンキースもミッキー・マントル、ヨギ・ベラ、ビリー・マーチンなどすごい顔ぶれだった。

これで一気に名を挙げたが、酒乱の挙句離婚をするなど私生活の乱れはおさまらず。ミッキー・マントルは「俺が知る中で一番ビールを飲んだ男」と言った。

1960年、アスレチックスにトレードされる。トレードの相手はロジャー・マリスだった。

以後、パッとしない成績のまま1968年まで現役を続けて引退。

引退後は野球界を離れサラリーマンになる。再婚し、幸せな家庭を築いたようだ。

殿堂入りの話は何度もあったが、ベテランズ委員会でもエントリーされなかった。


1960年小野正一、全登板成績【リーグ優勝&最多勝、リリーフで21勝】

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