当サイトでは、時代が異なる野球記録の比較をよくやる。これは記録マニアにとって無上の楽しみではあるが、我々は無意識のうちに記録を「融通無碍に解釈」していることに気が付かなければならない。
端的な例として、王貞治の868本塁打とハンク・アーロンの755本塁打、当代の中村剛也の415本塁打を比較するとき、我々はこの3人がプレーした時代、環境などの要素をいったんは度外視している。

王貞治がプレーした1960~70年代のNPBは、球場の両翼は90m中堅は115mの時代だった。ハンク・アーロンと中村剛也は両翼100m中堅120mの球場で試合をしている。
また王貞治はシーズン130試合、アーロンは154試合から162試合、中村剛也は143~4試合の時代にプレーしている。
王貞治の時代、投手の速球の球速は最大で150㎞/h、変化球はカーブ、スライダーがメインで、フォークを投げる投手は少数派だった。アーロンの対戦相手は150㎞/h超の速球を投げたが、変化球の球種はNPBとそれほど変わらなかった。中村剛也は150㎞/h超の速球にスライダー、カットボール、チェンジアップ、シンカー、スプリットなど多彩なボールを投げる投手と対戦している。

王貞治やアーロンの時代、三振は速球で奪うものだった。しかし中村剛也の時代は、三振は変化球で奪うものに変貌している。

時代が下がるにつれて、打者が対戦する投手の難易度は上がり、日本に限れば球場も大きくなっている。

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これらの条件の違いを考えれば、こうした数字の単純比較はできないはずだが、我々は「その時代、その環境での相対的な数字」を、あたかも絶対的な数字であるかのように思い込もうとしている。

私はNumber Webで王貞治の868本のうち102本が100m以下だったと書いた。
こういう細かい部分に着目すれば、時代やリーグを超えた比較の精度を上げることはできるが、それにも限界がある。

例えば陸上競技の場合、男子100mの世界記録はちょうど1世紀前には10秒06だったが、50年前に10秒02、30年前に9秒90、そして10年前に9秒58になっている。
もちろんトラックやシューズの違いはあるだろうが、この比較は絶対的だ、100年前の世界チャンピオンは、今では五輪の決勝には出られないだろう。

野球のようなスポーツの数字は、陸上競技など「計測するスポーツ」とは異なり、常に恣意的な要素が入りこむ余地がある。いわば「いい加減なもの」なのだ。

だからといって記録の比較を無価値だとしてしまえば、野球の愉しみは大きく損なわれてしまう。
我々は「野球の記録とはこういうものだ」ということを十分に理解すべきだと思う。



1960年小野正一、全登板成績【リーグ優勝&最多勝、リリーフで21勝】

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