2016年2月に一度やっているが、アップデートしてもう一度やってみた。
(午前中にupしたが間違いがあったので修正)
2000本安打以上の52選手の背番号。チームカラーはかなり適当ではあるが。
張本は高卒1年目から「10」だったが野村は入団当初は、どうでもいい大きな番号。そして1956年から正捕手筒井敬三の背番号を引き継ぐ形で「19」に。捕手の「19」は以前からあったが、野村で定着したと言える。今季のソフトバンクは甲斐拓也がつける。
ドラフト1位など入団時に期待されていた選手はいきなりいい背番号をつける。王貞治、立浪和義、長嶋茂雄などだ。
衣笠と山本浩二はいずれも20代から一けたに。
門田博光が「27」から「44」「60」になったのは、本塁打の目標が変わったからだ。
落合は「6」が基本だが、1994年、巨人入団時は篠塚がいたので「60」に。この年限りで篠塚は引退し、翌年「6」になった。
清原は西武では「3」だったが巨人ではつくれるはずもなく「5」に。オリックスでは村松が「3」をつけていたので「5」だった。
加藤秀司は2000本を目指して現役を永らえた。最後は本当に苦しそうだったが、1987年に2000本。長くライバルだった南海のユニフォームで「7」だった。大阪球場でこの年の加藤をよく見たが、バットにボールが当たりそうな気配がなかった。
これ、なかなか面白いのではないだろうか。
1960年小野正一、全登板成績【リーグ優勝&最多勝、リリーフで21勝】
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好評発売中!
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加藤秀司は2000本を目指して現役を永らえた。最後は本当に苦しそうだったが、1987年に2000本。長くライバルだった南海のユニフォームで「7」だった。大阪球場でこの年の加藤をよく見たが、バットにボールが当たりそうな気配がなかった。
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その時代のその背中の番号に、どれだけの声援を送っていたかを思い起こさせてくれる、なんというか"美しいデータ"だと思います。
一球団でしかもデビューから引退まで、たった一つの背番号しか背負わなかった凄さ、あるいは背負うことで生まれた苦悩なども垣間見える気がしました。
そして、そのすべてが2000安打を達成した稀に見る好打者であること。
こういったところにもデータの面白さの可能性と力強さを感じた次第です。
baseballstats
がしました