実際にプレーを見たことのある選手がどんどんなくなっていくのは気が滅入る。

中日球場で見た高木は地味で目立たない選手だった。もともと当時の中日自体が「テクノクラート集団」と言われ、華々しい印象はなかったが、渋い格好良さがあった。
高木はその代表格だった。

キャリアSTATS

Takagi


王貞治世代の1歳下。

県立岐阜商から中日に入団。入団時にはリーグを代表する二塁手だった井上登がいたが、翌年後半、井上は一塁にコンバートされ、高木がレギュラーとなる。

そこから19年にわたって二塁を守った。

足が速く、盗塁王を3回とっている。また1969年には24本塁打と長打も見せたが、打者としては傑出していたわけではない。

しかし常に計算できる選手だったことは指揮官はありがたかったことだろう。

30歳が近づいたころに成績が落ち込み、そろそろかと思われたが、高木はそこから回復して、38歳で3割を打ち、ダイヤモンドグラブも獲得した。

監督としてはぱっとしなかったが、競技者としては球史に残る。78歳は今の基準では若い。残念だ。


1960年小野正一、全登板成績【リーグ優勝&最多勝、リリーフで21勝】

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