何の関係もないが、東出某の不倫にまつわる話が世間を騒がしている。

タレントや芸人の中には、この男の不貞行為を非難できるのは妻の杏だけであって、世間は口を出すべきではないという者もいる。
ずいぶん虫の良い意見だと思う。芸人、芸能人は結婚や出産などプライベートを散散メディアに露出して話題性を稼いでお金儲けをしているのである。自分に都合の悪いところだけ「報道しないでほしい」ということはできないはずだ。
報道の密度、頻度の問題はあるが、あそこまで夫婦としてのプライベートを露出していた芸能人が背信背徳行為に走れば、報道されて当然である。
それが嫌なら、自分のプライベートは一切秘匿して商売に使わないことだ。タモリのように。

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この騒ぎで、ちんけな阪神守屋の不倫、DV騒ぎなど吹っ飛んだ感があるが、ことの大小は別にして、こうした身内の話もみんな報道する価値はある。それを妙な忖度をして隠したり庇い立てしたりする方がおかしいのだ。

今の社会では、これらの情報も消費される。ポジティブな話題もネガティブな話題も、みんな流通するのだ。
確かに似たような情報がこれでもか、というほど巷にあふれる現状はうんざりするが、少なくとも不倫、不貞行為を暴き立てた文春やその他週刊誌は、「スキャンダル、ゴシップを暴く」というメディア本来の役割を果たしている。
それによって健全な社会的価値観やモラルは維持されているのだ。

昔は権力者や有名偉人の不倫や背徳は、よほどのことがないと明るみに出なかった。西武創業者の堤康次郎は「行儀見習い」と称して近隣の良家の子女を屋舗に奉公に上がらせ、かたっぱしから手を付けた。しかし、それをどこも報道しなかった。
また婦女暴行などの事件があっても、警察は被害女性に「犬にかまれたと思えばいい」といってまともに取り合わなかった。
「昭和」とはそういう時代だったのだ。昭和なれば東出は「艶福家」で済んだはずだ。死んだ松方弘樹などはすさまじい女性遍歴だった。もちろんプロ野球選手でもめちゃくちゃだった。

そういう昔の男たちを「豪傑」「侍」などともてはやす風潮もあるが、要するに家庭を持つべきでない人間の屑だったわけだ。

東出の報道は、ようやく女性も男性と同じ「人間」であることが認知されつつあることをあらわしている。ストレス性の禿ができたそうだが、自業自得だ。禿まくればいいと思う。

こういうスキャンダル、ゴシップ報道に「メディアも地に落ちたものだ」ともっともらしい顔をしていう向きは、メディアも人権も、モラルもろくにわかっていないということになる。
良い時代になったと思う。


1960年小野正一、全登板成績【リーグ優勝&最多勝、リリーフで21勝】

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