人様のご家庭のことを、もっともらしい顔をして論じるのはお下品なことではある。
しかし、今、野村克也という私にとっても忘れられない野球人の棺が覆われたという事実を前にして、どうしてもそのことについて思いが至ってしまう。


野村克也は南海電鉄の幹部社員の娘と結婚していた。おそらくは鶴岡一人の肝入りだったのではないかと思う。
鶴岡のような古いタイプの人間は、世話になっている会社と深い絆を結ぶことで、その人物の将来も安泰だと思ったのだろう。野村のことを買っていればこその配慮だったと思う。

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しかし1970年代に入って、野村はサッチーこと伊東沙知代とひそかに交際を始める。野村と当時の夫人との間にはすでに子供がいたが、夫婦仲はよくなかった。それがサッチーが登場したことによるのか、それ以前からかはわからない。
しかし1973年に野村克也と沙知代の間に克則が生まれていることを考えると、そのかなり前から沙知代の存在が野村家に影を落としていたのではないか。
その後の沙知代の行動を見ると、彼女は自分が主導権を握るためには、たとえパートナーが肩身の狭い思いをしたり、面目を失っても、平気で「敵」を排除するようだ。えげつない支配欲の持ち主だということがわかる。

沙知代は夫の職場関係にも平気でずかずか入り込んだ。そして何の権限も資格もないのに、夫の権威を笠に着て選手やスタッフを叱りつけた。
野村克也はこれがもとで南海を追われた。
その後も沙知代は、野村克也の看板を利用して怪しげな商売をしたり、選挙に出たりした。その過程で経歴詐称などもボロボロと明るみに出た。
2人の連れ子も母の沙知代に反逆した。
野村が阪神タイガースの監督を辞任したのも、沙知代の脱税がきっかけだった。

しかし野村克也は別れなかった。そして「悪女の見本市」のような沙知代と添い遂げるのだ。

若い頃の野村は皮肉屋で、いろいろなことを根に持つ難しい人間だった。鶴岡一人と仲たがいしたのも、野村の「へんねし(わかるかな)」が原因だった。
鶴岡はとにかく度量の大きな人間だったが、それだけにすぐにすねたりいじけたりする野村は苦手だったのだろう。

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しかし沙知代と一緒になって年数がたつうちに野村のネガティブな部分はあまり目立たなくなる。おそらくは、沙知代の強欲さ、非常識さを我慢するうちに「人を許す」という感情が芽生えてきたのだろう。
「ボトックス」とは、ボツリヌス菌由来の毒素を皮膚に注射して皮膚の毒素を出し、しわを消す治療法だそうだが、野村克也にとってサッチーは「ボツリヌス菌」だったのではないか。

2017年に野村沙知代が急逝してから、野村は急速に衰えた。連れ合いを失ったことを嘆き、狼狽し、憔悴している自らを、隠すことなくさらけ出した。
それは「正直」を絵にかいたような姿であり、美しいといってもよいものだった。
往年の「策士」「皮肉屋」の面影はもうなかった。

はたからみれば「割れ鍋にとじぶた」「蓼食う虫も好き好き」だったけども、少なくとも野村克也にとって沙知代はベターハーフだったのだろう。


2019年E.エスコバー、全登板成績

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