野村克也の死亡に伴う喪失感のことだそうである。私などの想定を超えて「野村克也」という人物は、日本人の心に根を下ろしていたのだろう。

何度も書いているが、私にとっては「現役時代」が圧倒的に大きい。皮肉屋で陰気で、恨みがましいが、選手としては圧倒的な捕手であり、選手生活晩年にスキャンダルでチームを追われた大選手だった。

それ以降の活躍は「おまけ」に近い。名監督と呼ばれ、「人生の師匠」になった野村克也は「うまく立ち回ったものだ」と思った程度だ。

しかし、私より若い、そして野球のことなど知らない人にとっては、引退後のノムさんこそが野村克也だったのだ。

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私は大ファンだったので喪失感はもちろん大きいが、日本人男性の平均寿命を超えての逝去だけに、親を見送るような、ある種の諦念があった。

端的に言えば「金田正一、高木守道、そして野村克也」という流れで、昭和の野球史が扉を閉じようとしているという感覚が大きかった。

しかし、世間では、もそもそといろいろなことを話す「おじいちゃん」こそが野村克也だった。尻に敷かれながらもアクの強い連れ合いを愛し抜いた優しい家庭人、若い選手に皮肉交じりの声援を送った「老師」だったのだ。
特に妻を失った悲しみに打ちひしがれる、惨めな姿は多くの人々の同情と共感を得たのだろう。

金田正一も最晩年までメディアに露出したが、金田に野村のような「人間としての弱さ」や「複雑な感情のひだ」は感じられなかった。ただただ“物分かりの悪い老人”でしかなかった。

野村克也への「喪失感」の大きさは、世間の人々にとっても想定外ではないのか。

思い出すのは、1993年3月16日の笠智衆の死だ。寅さんなどで知られた、この名わき役の死後、多くの人、とりわけ若い女性が喪失感を口にした。NHKが特集番組を放送したくらいだ。

野村克也とは全くキャラクターは異なるが、2人ともにいつの間にか「私のおじいさん」として、日本人の心の中に深く定着していたのだろう。
だから、日頃はあまり気にも留めない田舎の祖父、祖母が亡くなったあとの喪失感に近い感情を人々にもたらした。そして「もっと優しくしてあげたらよかった」に近い感情を呼び起こしたのだろう。

いらいらと生きている昨今の日本人だが、まだ「優しさ」を失ってはいなかったのだ。

最近立ち上がりつつあるこの“ノムロス”という言葉を、私はほのぼのした気持ちで受けとめている。
野村とは一面識もない私だが、なんとなく親族代表みたいな気持ちで、世間にお礼を言いたいような気持である。



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