ルース、ゲーリッグの「頂点」ともいうべき年が1927年だ。その前年との推移を見ていく。
1926年と27年の打線の比較
1926年、ルー・ゲーリッグは1925年にレギュラーになって2年目。足が速く最多三塁打を記録したが中距離打者とみなされ、ルースの露払いだった。
8歳上のルースはすでに圧倒的なスターであり、ヤンキースでは王様のごとくふるまっていた。
1927年、ゲーリッグが長距離打者として覚醒。ルースと最強コンビを組むようになる。
おそらくはゲーリッグの存在がルースに刺激となったのだろう。1921年に自信が記録した59本塁打のMLB記録を6年ぶりに抜く。
ゲーリッグは47本。1934年と36年には49本を記録するが、ルースとのコンビでは合計107本のこの年が最多。
注目すべきは、打点でルースを上回ったことだ。それもあってかこの年は、ゲーリッグがMVPに選ばれている。
1927年はミューゼル、ラゼリも100打点。きわめて回転の良い打線だったのだ。
またアール・コムズは最多安打を記録。ヤンキースがアスレチックスに19差をつけて圧勝。
日本で言えば昭和2年、プロ野球はまだない。
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