巨人のV9が始まった年。そして野村克也が三冠王をとった年。
西本阪急3年目の打線
スペンサーが野村克也と激しいタイトル争いをしたが、シーズン終盤に交通事故でリタイア。しかしキャリアハイ。
他にはウィンディと河野がまずまずの成績だったが、野村克也を中軸とする南海とは大きな開きがあった。まだ非力な打線だった。
南海が独走し、阪急は一時期2位だったが、ずるずると負けが込んで4位になった。
投手陣
石井、米田が20勝、足立も15勝したが、この時期から梶本の成績が下落していく。
秋本が救援で良い働きをしたが、この4人の先発に代わる投手が出てきていない。
1953年関根潤三、全登板成績【オールスターにファン投票1位で選出の年】
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なお、西本監督は「うちも野村を敬遠しようか」と投手陣に提案したそうですが、スペンサーが制止したそうです(ロバート・ホワイティング著『菊とバット』)。この話を聞いた時にはさすがだなあと思いました。
梶本が衰え始めたとはいえ、石井、米田、足立と素晴らしい成績ですね。ただ、当時はまだ稲尾のイメージが強力に残る時代で、これくらいでは「大した成績ではない」と思われていたそうで、まさに隔世の感があります。
前年良かったとはいえブレーブスにはまだ、真の実力はついていなかったのでしょう。花開くのはまだ先でした。
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がしました