報知
今夏の第102回全国高校野球選手権大会(8月10日開幕予定・甲子園)を主催する日本高野連と朝日新聞社が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で同大会を中止する方向で最終調整に入っていることが14日、分かった。

インターハイは4月26日に中止を決めた。全中も28日に中止を決めた。
しかし、高野連はまだ正式決定には至っていない。3週間近くも決定を遅らせたことに、何の意味があったのか?

他の部活の生徒は中止が決まってから、ライフスタイルが変わったはずだ。インターハイの予選へ向けたトレーニングから、受験や就職などの準備へとシフトしたはずだ。そういう形で「次の何か」に向けて気持ちを切り替えることができたはずだ。

しかし高校球児たちは、この間も悶々とした時間を送った。そのことに何の意味があったのか。

高野連の大人たちは「希望的観測」があったはずだ。5月6日の「非常事態宣言」明けに、自粛が全面的に解除され「元通り」になることを期待して、決定を遅らせたのだろう。少なくとも「無観客試合」を世間が容認する空気になれば、それに乗ろうと考えた。

しかし、地方の県では宣言は解除しそうだが、都市部はまだ長引く。これでは47都道府県そろっての地方大会を開くことはできない、ということが分かった。これでは「夏の甲子園」は無理だ、と言う判断だろう。

私が残念に思うのは、高校野球関係者の口から「学校の勉強が始まっていないのに」的な言葉が、ただの一度も聞こえなかったことだ。
きれいごとかもしれないが「学校は授業あってのもの」だ。勉強もせずに部活だけをするような高校は、教育機関ではない。

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なかには「ぎりぎりまで試合ができる可能性を考えてやりたい」みたいなことを指導者もいるが、彼らは子どものことを考えているのではなく、自分たちの都合を考えているのだ。「おためごかし」を言うんじゃないと言いたくなる。

全国大会の中止が決まれば、各部活は、コロナ禍が軽い地方によっては、県大会などの代替試合について考えるだろう。学校や社会の状況によっては、それは容認される。しかし、それを決めるにしても「優先順位」が大事だ。東京都のように何も決まらない打ちから「東京都大会だけはやる」と決めるなど、暴挙と言っても良い。

リアルスポーツで「中止に踏み切れない夏の甲子園。「高校野球は特別」の時代錯誤」と言う記事を書いたが、ヤフトピを見る限り、高校野球を特別扱いすることに批判的なコメントが圧倒的に多かった。

野球はただのスポーツだ。特別だと思っているのは自分たちだけなのだ。これからの指導者には、広い視野と「社会性」が求められると思う。


2018・19年髙橋遥人、全登板成績

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