「甲子園をやるかやらないか」でいい年をした大人がすったもんだしていることに、私は本当にうんざりしている。

「高校球児たちが可哀そう」「せっかく頑張ったのに」それはそうかもしれないが、彼らに同情したり、嘆いて見せたりするのは、野球ファンやメディアに任せるべきではないのか?
どう転がったってできないものはできないし、その時間を取り戻すことは不可能だ。単なる感傷で、いろいろ動くことに、どれだけの意味があるというのだ。
試合の機会を奪われた子どもたちは今は悲しんでいるだろうが、「悩んでも仕方がないこと」にいつまでも拘泥したりしない。さっさと諦めて「次のこと」を考える。それが若さというものだ。

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第二次世界大戦では、多くの球児が野球の機会を奪われたし、中には命まで取られた人だっている。今は、それに近い状況だということだ。
「秋に甲子園を」という人もいるが、本気で言っているのだろうか?感染の専門家の中で「秋になったら大丈夫」という人は一人もいない。夏が終われば第二波がやってくると口をそろえて言っている。
私は秋季大会も難しいと思う。そうなれば来年のセンバツにも影響が出るだろう。すでにそれくらいの深刻な事態になっていると思う。

高校野球に携わる大人たちが考えるべきは「この先、高校野球はどうなっていくのか」ということだ。
多くの関係者は、コロナ禍が収まれば、元のように高校野球や甲子園をやることができると考えているようだが、おめでたいとしか言いようがない。

昔の日本軍じゃあるまいし「神風」を期待して、いい大人が現実を直視しないのは、愚かしいと言うしかない。

世界中がここ半世紀、経験したことがない大災難に見舞われているのだ。たとえコロナ禍が終息しても、経済は思い切り疲弊する。貧富の格差は広がる。社会は「スポーツどころではない」状態になる。もともと人気が低迷していた野球は、選択肢として選ばれなくなる可能性がさらに大きくなる。

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そういう状況に際して、高校野球はどう対応するのか?競技人口や経済規模を維持するためにどうするのか?

専門家を招いて意見を聞くなり、「高校野球にかかる費用」の軽減のために、ユニフォームや道具の使用規格の緩和を検討するなり、普及活動をもっと真剣に考えるなり、頭を働かすことはいくらでもあると思う。

「何か起こってから対応を考える」は、日本スポーツ界の愚かな体質だが、それでは生き残れない。


2018・19年髙橋遥人、全登板成績

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