昼のテレ朝を見ていたら、青島健太さんが「甲子園中止」についてコメントをしていた。

「僕も高校球児だったし、高校球児の気持ちはよくわかる。何とかやらせてやりたいですね」

私は、青島さんと7年ほど前に一緒に仕事をしていたが、人の話をよく聞いて、そこからじっくり話をするタイプの人だった。体育会系のノリもあったが、それだけの人ではなかった。

今回の甲子園の中止問題にしても「残念だ」とは思っているだろうが、「何が何でもやらせてやりたい」とまで思っていないのではないか。
むしろ「今後のことが大事だ」と言う立場だろう。東京六大学でプレーした青島さんは、大学以降の野球人生についても良くわかっている。

「甲子園も大事だけど、その後の人生も大事だから、選手たちは気持ちを切り替えてほしいですね」と言う意見を言ってもいいはずだ。
しかし、テレビ的にはこれは口にできない意見だろう。

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夏の甲子園の中止を受けて、今後、テレビのワイドショーでは、多くの報道がされるだろうが、ほぼ間違いなく「選手が可哀そう」「何とかやらせてやれないのか」「代替する大会はできないか」という方向一色に染められるはずだ。

ここらがテレビメディアの残念なことだ。「甲子園」「高校野球」は、「青春賛歌」で「さわやか」。甲子園の中止は「悲劇」で「なんとかしてやりたい」。これがテレビ的な「世論」なのだ。
出演者は「純朴でいい人」でなければならない。「うがった見方をする人」もいていいが、時と場合によってはそうした意見を言うことを控えなければならない。

「過ぎたことはあきらめよう」「甲子園はいいことばかりではなかったのだから、これを機に改革に取り組もう」みたいな意見は「なかったこと」になってしまう。

こうしたメディアの、どこに対してかはよくわからない「忖度」「自主規制」が、日本の言論を誠に窮屈にしている。

恐らく東京五輪が中止になれば、甲子園の十倍くらいの「残念だ」「なんとかしてやりたい」が巻き起こるだろうが、こうした「詠嘆」「人情の発露」は、決して建設的ではないことは、言っておきたい。
ないものはないのだから、さっさと次のフェーズに移るべきだ。


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