黒川高検検事長の「賭け麻雀」事件は、いろんな意味で「昭和の大人」がどうしようもないことを露呈した。今の日本に、文春砲は必須だと改めて思った。

「賭け麻雀」は、歴とした「違法賭博」だ。見つかればレートの多寡にかかわらず摘発される。起訴されないことも多いが、起訴されれば有罪となる。プロ野球でも柴田勲や東尾修、土井正博らが挙げられ、世間から非難された。
しかし麻雀は、今でも公然と行われている。減ったとは言え、全国には「雀荘」なる店舗があり、そこで昼間からいい大人が麻雀に興じている。建前は「賭け禁止」だが、「昭和の大人」で、金も賭けずに麻雀をする人がどれだけいるのか。
麻雀は「賭博ではなく遊技」という定義で、多くのパチンコ狂い、生活破綻者を生んでいるパチンコとともに、日本社会の欺瞞の産物だと言える。もう一つ言えば、日本ではゴルフもかなりの部分が「違法賭博」である。

そして新聞記者の中には、麻雀が大好きな連中がたくさんいる。中には同様に麻雀好きが多い政治家に、卓を囲むことで接近する記者もいる。彼らは「違法賭博」を共有することで、同志的な連帯感を醸成している。マフィアと変わらない。他にも会食などの交流で、濃厚な人間関係を作っている。

「新聞記者クラブ」は、そういう記者たちのカルテルだ。情報源との関係を独占するために作られている。記者クラブの記者と取材源は、癒着している。だから「新聞発表」の記事は、取材源に配慮したものであるし、各社横並びになっている。「特ダネ」「スクープ」をすると、記者クラブでの肩身が狭くなるから、なるべくそういうことはしないようにしている。
そのかわりに、情報をリークしてもらったり、いろんな便宜を図ってもらったりしている。取材源に「よいしょ」してお駄賃を貰っている幇間のようなものである。

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それでも、ときどき取材対象を非難する記事が出るのはなぜか?そういう記事の多くは、同じ新聞社でも記者クラブに登録していない記者や、他の部の記者が書いている。そういう記事が出た後は、記者クラブの記者がフォローに回ったりする。つまり新聞社は鵺的な組織で、「癒着した記者クラブの記者」と「それ以外の記者」がいる。それによってあたかも「真剣勝負」であるかのような紙面が作られているのだ。

端的に言えば、新聞、テレビと政治家は舞台の上で「言論の自由」と言う名のお芝居をしているようなものだ。舞台では記者は「不正を許さないぞ」と政治家に向かって叫び、政治家もそれに応じているが、舞台が終われば、同じ楽屋で「お疲れさん」とやっている。つまり記者クラブは「楽屋」なのだ。

こんなことをしている国は、先進国では日本だけだ。だから、新聞、テレビからスクープが生まれることがめったにないのだ。もう廃止すべきだと思う。

黒川検事長が違法賭博をしていたことで、辞任するのなら、そのお相伴をしていたサンケイ、朝日の社員も同様だろう。
新聞各社は、彼ら以外にも「違法賭博」に手を染めている記者がいないかどうか、徹底的に調べるべきではないか。匿名での密告も奨励して、徹底的に調査すべきだ。
おそらくそうなれば、ほとんどの新聞社で、社長以下、記者上がりの幹部が片っ端から上げられることになるだろうが。

すでに新聞社の信頼は地に落ちているが、今回の事件は「日本の言論は、記者クラブに任せるわけにはいかない」ことを改めて思い知らせた。

人々は、本当のことを知りたいときには、文春や新潮など雑誌メディアを確かめることになるだろう。


2018・19年髙橋遥人、全登板成績

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