鶴岡一人監督、治世の頂点ともいえる1959年の翌年。2位に終わった。


大毎とデッドヒートになったが8月に失速し、4差で2位に終わった。

野手陣

1960H


捕手の野村が不動の中軸となったが、後の選手はややさえなかった。

二けた本塁打は野村の他は寺田と広瀬だけ。盗塁数も伸びず、あまり魅力的とは言えない打線だった。

前年限りで蔭山和夫が引退してコーチになる。33歳、鶴岡は時期が来れば後継者にと考え始める。

投手陣

1960P


杉浦が2年連続30勝以上、300イニング以上。これは消耗したはずだ。

新たにスタンカが加入。MLBでの実績はほとんどなかったが、杉浦が衰えた後、南海の投手陣を支えることになる。



皆川、祓川に次いで森中が台頭してくる。


2018・19年髙橋遥人、全登板成績

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