今、全国の都道府県高野連は「よそはどうなっているのか」が気になって仕方がない。

甲子園を神聖化するメディアやファンが、現場の実情にはお構いなしで、できもしない「甲子園大会」を主張する中で、各都道府県高野連は、方針転換を余儀なくされている。

昨日も言ったが、学校の授業との兼ね合いを考えれば、代替の大会でさえも不可能に近かった。
だから、多くの地方で「代替大会」もやらないという腹をくくっていたのだ。
私が聞いた限りでも、大阪府、滋賀県、神奈川県は実施しない方向ということだった。

しかし「何とかやらせてやりたい」という大人が増え続け、ただの気休めに過ぎない「甲子園の土」キーホルダーをメディアが大々的に取り上げたこともあり、「代替大会を中止にしたら何を言われるかわからない」という思いが地方の高野連に広がっていったのだ。
教員が多い地方高野連の幹部には、ベンチャーの経営者のような英断は望むべくもない。常に気にしているのは「自分が悪く言われないか」「出過ぎたことになっていないか」である。

福岡県はいち早く中止を決めた。これは英断だった。これによって子どもたちは次のステップに進めたはずだ。教師の中には手作りの「引退試合」を準備し始めたところもあった。
しかしその後の情勢の変化で、福岡県に追随する高野連はなかった。
また、福岡県教育委員会が、福岡県高野連に「代替大会はできないか」と申し入れたこともあり、福岡県高野連は、6月12日になって代替大会の実施に転じた。

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福岡県高野連の土田秀夫会長は「引退してしまった選手については大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。間に合う学校は参加してほしい」と語った。

無責任極まりない。自分たちが世間から非難を浴びることを回避するために、節を曲げたのだ。そのしわ寄せは、高校3年生に来る。

結局、日本のメディアとファンは甲子園や地方大会の「代替大会」をものすごく重要な会であるかのように報道しすぎた。

これも結局「気休め」に過ぎない。やるにせよ、やらないにせよ、いい年した大人は、責任を捕れないことを決めてはいけない。少なくとも、すでに次のステップに進んでいる球児たちに迷惑をかけないようにすべきだ。


2018・19年髙橋遥人、全登板成績

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