なんか記録ものをやりたいと思ったので、ファイターズの背番号「1」を列記してみた。

1946年のセネタースからの背番号「1」、年度別全成績。

FightersNo.1


初代は戦争を生き延びて大洋に入団して活躍した長持栄吉。セネタース、東急でもいい働きをした。
大宮工業監督として春の大番狂わせ優勝も達成。

あとは1年ごとに「1」が変わったが、1959年からは松本俊一。王貞治と同世代で、王と同様期待されて背番号「1」を付けるがぱっとせず1967年「16」になった。

そのあとは駒沢大から入団した大下剛史。いきなりレギュラー遊撃手になり活躍。のち二塁手に。1975年に広島に移籍し初優勝の原動力になる。

さらに菅野光夫。三菱自動車川崎から即戦力として入団。いきなり「1」を付ける。プロでは守備の人。遊撃、二塁を守る。早世した。

広瀬哲朗は駒沢大、本田技研から入団。やはりいきなり「1」をつける。下積みが長かったが1993年からレギュラーに。盛りは短かったが印象的な選手。

続いて阿久根鋼吉もNTT関東からいきなり「1」だったが、活躍することなく2003年限りで「9」になる。

そのあとがMLB帰りの新庄。北海道に移籍して1年目のチームを大いに盛り上げる。

さらにその弟分だった森本稀哲が、「46」から「1」に。4年間活躍して横浜に。

そのあとに、陽岱鋼が「24」から「1」になって活躍。FAで巨人に移籍。

Yoh


そのあとは、うーんどうなんでしょう。異色の「1」がいる。


2007~2019の打者 vs 2020年の打者/10試合終了時打率比較・セ・リーグ

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