「わしが満州にいた時分には」飲み会などで若い人によく言ったが、これが、冗談として通用したのは20年くらい前だろうか?
「満州」とは戦前に大日本帝国が中国東北部に作った植民地のことだ。のちには「満州国」という傀儡政権を設立させ、ラストエンペラー溥儀をお飾りの皇帝にした。
戦前は、国内で食いつぶした若者が新規まき直しで満州にわたり、一儲けすることがあったようだ。
「俺も行くから君も行け 狭い日本にゃ住みあいた 海の彼方にゃ支那がある」という「馬賊の歌」が、当時の雰囲気を表している。ようするに今の中国を日本人は搾取したわけだ。その親分の一人が安倍晋三のおじいさんの岸信介だったわけだ。

「満州にいた時分には」という言葉は、脛に傷持つ山っ気のあるおっさんが発した言葉だ。もちろん大正以前の生まれでないと、満州で一旗揚げることはできなかった。昭和の時代、年寄りがよくいったのだ。
私がそれを口にするのは「いくつやねん!」という突込みが欲しかったからだ。
しかし今どきそれを口にすれば「中国東北部に滞在しておられたのですか?」とか言われそうである。
時代によって、冗談も変わっていく。
五代目古今亭今輔の「おばあさん三代姿」では、明治のおばあさんが「御一新以降は」と口癖に言うが、これなども昭和中期までは笑いを取ったのだ。

時代の移ろいとともに、そろそろ「万博行ったときに」が、通用しなくなりつつある。ちょうど半世紀前の夏休みには、我々は阪急千里線に乗って「未来の日本」に行ったのだ。太陽の塔の中に入って、上を見上げた時は心底感動したものだ。アフリカの小さな国の掘立小屋のようなパビリオンを回っているうちに、きれいなトイレに間違って入ったこともあった。
しかしもう、万博に行った記憶を鮮明に持つのは55歳以上限定になった。

と、いうことは「ONみたいなすごい選手」というのも、そろそろ賞味期限が来そうだ。長嶋茂雄は1974年、王貞治は1980年に引退、以後も両人は指導者として活躍しているが、選手としてのONを同時代に見聞きした人は、50歳より上になる。
私でも王貞治の全盛期は嫌というほど見ているが、長嶋はそろそろ衰えが見え始めていた。一番良かった1960年代前半は知らない。全盛期を知っている人に比べて、選手長嶋に対する価値観は違っていると思う。



時代とともに「使える言葉」「通用する言葉」も変わっていくのだ。そろそろ「KKコンビ」も“古語”だと思う人が増えてくるだろう。やがては「松坂世代」「ハンカチ王子」も…。

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2007~2019の打者 vs 2020年の打者/10試合終了時打率比較・セ・リーグ

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