甲子園の記者席にいる氏原英明さんが、オンタイムで連絡をしてきて、いろいろやり取りをした。
ま、日ごろからそういうことをしているわけだ。

1試合だけの「甲子園」になった今年は、始まる前から涙ちょちょぎれる超ウェットな報道ばかりである。その陰で、氏原さんが「甲子園という病」で書いた「甲子園至上主義」は、何一つ変わっていない。むしろ新型コロナウイルス禍による「悲劇」というスパイスがかかって、様々な深刻な問題が全部棚上げになってしまっている。

昨日の西宮市の最高気温は14時半ごろの35度、屋根なしのグラウンドでは50度近くになっていただろう。
NHKが不要不急の外出を中止するように呼び掛ける中で、第2回戦、中京大中京対智弁学園は、10回タイブレークとなり、中京大中京の高橋宏斗が149球、智弁学園の西村王雅が150球を投げた。

この交流戦は、公式戦ではあるが優勝を決める試合ではない。高校球児、とりわけ3年生の「想い出づくり」のために、大人たちが奔走して実現した試合のはずだ。春も夏も野球ができなかった高校球児の代表として、春の選抜代表校の選手に「甲子園を経験させる」ことが目的だったはずだ。

その記念の試合で、投手に150球も投げさせるとは、どういうことなのか?何をシャカリキになっているのか?

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今や高校野球でも複数の投手を起用するのが一般的になっている中で、なぜ両校監督はこんな異常な球数を投げさせたのか?控えの投手の「想い出づくり」は必要ないのか。

氏原さんはTHE DIGESTにこんな記事を書いた。

1試合の投球数に際限がなくていいのか。両エースが最後まで一人で投げ抜いた熱戦に感じた疑問

憤懣やるかたないままに、現場で書き上げたのだ。
この記事がヤフトピに転載されるや、ごうごうたる非難の声が上がっている。新型コロナ禍で、世の中の気が立っているのかもしれないが、ちょっとありえないコメントが並んでいる。
冷静に考えれば、たかが「想い出づくり」の試合で将来に障害が残る恐れがあるほど投げさせる必要があるのか?という意見を言う人が、もう少しいてもおかしくないだろう。

昨年、多くのメディア、指導者、関係者が集まって「球数制限」の議論をしたのは何だったのか?
「1週間500球」の決定に落ち着いたが、その過程で「投手の健康被害」について日本高野連、高校野球界は少しは勉強したのではなかったのか?

多くの日本人は、新型コロナ禍で「人の命」「健康」に対して、もっと神経質に、もっと重要に考えるようになったはずだが、「甲子園は例外」なのだろうか?


2007~2019の打者 vs 2020年の打者/10試合終了時打率比較・セ・リーグ

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