昼に上げた、サンデーモーニングの関口宏の発言も、川崎フロンターレなりすましの差別発言、誹謗中傷も、中日ファンの「原爆落ちろ」発言も、今の世の中では「ディスる」ということになってしまう。

少し前にも触れたが、批判、批評から攻撃まで、相手に対するネガティブ発言にはいろいろあるが、それらは「言っても良い」あるいは「言うべき」言葉と、「言ってはいけない」「言うべきではない」言葉に分かれる。今の世の中は、この区別ができていない人が多いのだと思う。

関口宏の「(広島は)もう見えません」発言は、首位巨人から17ゲームはなされて残り42試合となった広島の可能性に言及したものだ。もちろん、優勝の可能性は「0」ではないが、限りなくそれに近いのは間違いない。優勝へのわずかな望みを託する人がいるのはわかるが、この発言を「不適切」だと言ってしまえば、健全な意見、モノの見方を封じ込めることになる。

しかし広島に対する「原爆落ちろ」も、川崎なりすまし犯による他クラブへの人種差別的な攻撃も、何ら客観的事実に基づかないうえに、その攻撃は、個人や団体の安全を脅かしたり、名誉を棄損している。極めて不当だ。この発言には正当性は全くない。

しかし世の中には、この2種類の発言をひっくるめて「ディスる」と言ってしまう人がいる。
「“原爆落ちろ”がだめなのなら“広島の優勝はない”もだめじゃん」という感じで、両社の噛分けをしない人も多いのだ。リテラシーが低いと言うべきか。

この問題は「言論の自由」の境界線に対する極めてセンシティブな問題だ。

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健全な言論は、スポーツだけでなく何事にも必要だ。成績不振の選手を「成績不振だ」「良くない」ということは言論として必要だが、その選手を「クズ」「野球をやめた方がいい」というのは、選手への個人攻撃だからアウトだ。

私は田中賢介がMLBに挑戦したときに、彼がそのタイプではないのに挑戦しているから「無理だ」「勘違いしている」と書いて、ディスっているといわれた。表現として微妙ではあるが、田中が期待する「つなぐ野球」のポジションはMLBには存在しない、という意味合いなのでセーフだと思っている。

こういう綱渡りをするのが「書く」という行為ではある。ブログも記事も緊張感をもって書いていきたい。


中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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