日本の会社はこれまで、本当にリスクヘッジや変化の対応をまじめに考えずに来たのだと思う。読者各位やツイッターでの読者に中にも、阪神が選手に罰金を科したのは妥当だという意見が散見される。そういう人に言っておくが、それでは次の時代は生き抜くことができない。

新型コロナ禍の問題、感染拡大の問題の本質は、感染した人に「ほとんど悪意や、犯罪の意識がない」ということだ。
社会や組織を困らせてやろうと思って新型コロナに罹りに行く人間はほとんどいない。罹患する人は、油断や無知、不注意、そして大部分は不可抗力で罹患する。感染者に悪意はないのだ。
だから感染者を非難し、責任を追及することは、事態の収束につながらない。最近ようやく目にするようになったが、新型コロナに感染する人を責めても仕方がないのだ。なぜなら、新型コロナは日本でも市中感染が進み「注意していても、いなくても罹患するリスクがある」からだ。

「悪意のない事故でも自動車事故は厳しく罰せられるじゃないか」という反論もあるだろうが、自動車事故は自動車が社会に登場して1世紀の間起こり続けてきた。膨大な知見があるから、自動車運転のルール、事故防止のルールはほぼ確立している。だから、悪意や犯罪の意識がなくても、自動車事故を起こした人はその行為が処罰の対象になる。交通ルールをわきまえていることはドライバーの大前提になっているからだ。
しかし新型コロナは発生して1年に満たない。いまだに社会が知見を集め、対策を練っている途上だ。人々の意識はばらばらだ。そんな時点で、感染者を厳しく罰すれば、原因解明は進まなくなる。

「阪神の選手は“4人以上で会食しない”とか“同じポジション同士で会食しない”というあらかじめ決められたルールを破っていたじゃないか」というが、阪神のこうしたルールは、確証があって定められたものではない。専門家の意見を聞いて決めたのだろうが、そのルールを守っていたからと言って罹患しない保証はない。答えはない中で、対策を見繕っただけだ。「今度から気を付けよう」と好投ちゅいで済ますべき程度のルールだ。

必要なことは「社会全体が一体になって感染を防ぐ」ということだ。感染症は10人中9人が完璧に対策をしていても、1人が違う意識でいれば、その人が同じ部屋にいるだけでクラスターができる。
言い方を変えれば、感染症対策は社会が同じ意識を共有することが重要なのだ。
罹患した人の責任を厳しく問い詰めれば、その人は仲間外れになってしまう。そして反発を抱く人や処罰を恐れて本質からずれてしまう人も出る。「感染しないこと」よりも「仲間外れにならないこと」を優先する人が出てくる。

阪神のように感染者が出たことで、社長の首を飛ばし、選手に罰金を科したりすれば、それを見ていた選手やスタッフは、感染が発覚すれば、事実関係を隠そうとするだろう。球団は一斉にPCR検査を実施しているから感染そのものは隠ぺいできないが、その経路や原因については正直に言わなくなるだろう。わずかでもルールを破っていれば、厳しく罰せられる可能性があるからだ。こういう形で疑心暗鬼が生まれ、組織の一体感が損なわれる。

昨日も書いたが、日本の組織は何か事故が起こると「誰がやったのだ」と犯人探しをし、「誰に責任があるのだ」と責任者をあぶりだして処罰して事足れりとする。
本当に大事なことは「誰がやった」ではなく「なぜ起こった」を究明することであり、責任者をあぶりだすのではなく「再発防止」に向けて具体的な方策を打ち出すことだ。

その過程で責任を問われる人が出るのはある程度仕方がないが、その人をオミットするのはよくない。責任を問われた人は事件の当事者であり、得難い経験をしている。また「今度は失敗するまい」とも思っている。その経験と決意を問題解決に生かす仕組みが必要なのだと思う。

この問題に資するのは「一部の不届きモノがルールを破って感染した」という事件の説明ではなく「チームは用心していたが、この原因からこういう形で感染者が出た。この原因を改善すべき」という説明だ。組織がやるべきは、そういう説明ができる原因究明だ。

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中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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