こうも立て続けに大物選手の逝去が続くと気が滅入る。現役時代を知っている名選手だ。

カリフォルニア州オークランドのキャッスルモン高校から創設2年目のヒューストン・コルト45に入団。
層の薄い新球団だったこともあり入団年にメジャーデビューしている。

キャリアSTATS

JoMorgan


3年目の1965年には正二塁手となる。ラスティ・スタウブや南海にいたケン・アスプロモンテの弟のボブなどが主力だが、弱小チームで活躍。本塁打も二けたを打つようになる。
ただヒューストンだけの成績なら、ジョー・モーガンの名が歴史に残ることはなかったはずだ。

1972年、10万ドルでレッズと契約。ビッグレッドマシーンの一員となって、大活躍する。
ジョニー・ベンチ、ピート・ローズ、ジョージ・フォスター、デーブ・コンセプシオン、ケン・グリフィ、エースにトム・シーバーと言うスター軍団の中でモーガンは、二塁で華麗な守備を見せるとともに、打ってもしぶとい打撃で慣らした。
何よりモーガンは、選球眼が抜群だった。1975、1976年と2年連続でMVPに輝いているが、両年ともに主要な打撃タイトルはなし。出塁率の高さ、俊足、そして総合的な貢献度の高さで選出されたといえるだろう。

1978年にはスパーキー・アンダーソン監督率いるシンシナティ・レッズが来日したが、モーガンとコンセプションは来なかった。私は残念に思ったのを覚えている。

モーガンと言えば子供用のような小さなグラブでも知られた。これはアマチュア時代に殿堂入りの名二塁手、ネリー・フォックスから「うまくなりたかったら小さなグラブを使いなさい」と言われたのがきっかけだったという。

テレビで見るモーガンはびっくりするほど小さかった。また打撃成績はものすごいというものではなかったが、殿堂入り資格1年目に81.8%の高得票率で選出された。この選手がいかに印象的だったかを物語っている。


中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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