石原慶幸引退表明記念と言うことで、1950年以降の広島の捕手について調べてみた。

年度ごとの捕手としての出場試合数

Carp-C-1950-1973


1950年2リーグ分立とともに誕生した広島の初代正捕手は戦前、阪急や南海で正捕手として活躍した阪田清春、26歳だった。

1952年に阪神の名捕手として鳴らした門前真佐人が大洋から移籍。長谷川良平などの球を受ける。

最初の生え抜き正捕手は川原政数。尾道商を出て2年目の19歳で正捕手となる。しかし川原より1歳年上で高松商出身の田中尊が南海から移籍して1958年に正位置を奪うと、以後12年間、ほぼ正捕手として活躍する。生え抜きではないが、田中の一軍出場は広島だけ。南海では野村克也の台頭で出る幕がなかった。
173㎝65㎏、鶴のように細い選手でおよそ捕手らしくはなかったが、インサイドワークが巧みな名捕手だった。捕手として1423試合出場は石原が抜くまでの広島の最多出場記録。
通算打率は.196であり、打つ方は期待できなかったが投手陣の信頼が厚かった。

1959年に関西大学から入団した上田利治が一時期重用されたが、田中の牙城を脅かすことはできなかった。

1963年に広島大職員から入団した久保祥次が長く2番手捕手となる。1965年には衣笠祥雄が1年だけ18試合マスクをかぶる。

田中の牙城が崩れたのは1969年に中央大から入団してから。水沼と河合楽器から入団した西沢正次、さらには芝浦工大から入団した道原博幸が、ポジション争いをする。西沢は1974年限りで太平洋に移籍。
1975年の初優勝は、水沼、道原体制で迎えることになった。

Mit



中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!