不倫の話題が出ると、我々は「わが身に引き換えて」考えることが多い。

瀬戸大也の不倫騒動が長々と尾を引いているが、自分が不倫をした当事者だったら、自分の夫が不倫をしたら、父親が不倫をしたら、とわが身に引き換え、怒りや悲しみや呆れるなどの感情が沸き起こってくる。
その時に起きる感情は、その人間がどんな家庭に育ったかとも大きなかかわりがある。大きな波風がない家庭に育った人は、不倫を耳にすると大きな驚きと怒りを感じる。いわゆる「火宅」に育った人はもっとシニカルに見るだろう。

「不倫」は、多くの人にとって「他人事」と割り切ることができない事件なのだ。
よく、カンニング竹山が「不倫はプライベートだからほっとけ」みたいなことを言うが、感情としてなかなか割り切ることができない。
もともと芸人は「不倫」に対するハードルが低い。私は落語家のマネージャー時代、妻子のある落語家が「お持ち帰り」するのをよく見た。今は「師匠」になっているある落語家は、入門して数日である劇場の受付2人を「両方ともいきました」と私に自慢げに報告したものである。

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野球選手も「不倫」へのハードルは低い。故佐野正幸さんはある本で「プロ野球選手は、近寄ってくるファンの女性は“抱かれたくて来ている”と思っている」と書いている。
プロ野球で名を成した選手は目の前で見ると、想像以上にすごい体をしている。上体の盛り上がり、首や腕の太さ。偉丈夫という言葉が浮かんでくるが、女性が言い寄るのも無理はないと思う。
阪神の福留、西などの不倫報道も、野球選手からすれば「ばれたのが悪かった」という程度だろう。野球選手だけでなく、アスリートの「不倫」に対する感覚も一般人とは少し違う。

繰り返すが、不倫の問題と言うのは、どうしても「おのれのプライベートと引き比べてしまう」ために、複雑な感情を呼び起こす。

不倫をしたことが明らかになった有名人に対しては、人はそれ以前とは別の感情を抱いてしまう。野村克也のようにそうした感情を払しょくするような社会的評価を得る人もいるが、石田純一のように「不倫を取ったらコロナしか残らない」みたいな芸能人もいる。

瀬戸大也については、例によってスポーツメディアが「水泳で恩返ししろ」と言っているが、そう単純なものではない。
何せ瀬戸は「パンイチで人前に出る」のが商売だ。不倫報道のあとには、あの素晴らしい体躯が生々しく見えてしまう。ヘラクレス型の体躯を「水泳のためだけのもの」と割り切って見ることはなかなか難しいだろう。小さなパンツの下にこそ彼の「真実」があるのではないかと思ってしまう。

下世話な話だが、アスリートや有名人は気を付けていただきたい。日本は結婚していても自由恋愛OKの欧米ではないのである。理屈ではなく、感情で否定されてしまうのだ。それはどうしようもないことなのだ。


中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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