内村航平が「(オリンピックが)どうやったらできるのか皆さんと考え、どうにかできる方向に変えてほしい」「どうか、できないというふうに思わないでほしい」。と来夏の五輪開催へ理解と協力を呼びかけたことを受けて、その親玉が、頓珍漢なことを言ったとのことだ。
日刊スポーツ
渡辺守成国際体操連盟(FIG)会長
内村発言受け「選手も本音を」IOC渡辺委員の思い
「五輪はやるべきだ。開催しなければ日本の経済がガタガタになるし、世界経済にも響く。そうなれば本当にスポーツどころじゃない世界になってしまう。五輪誘致が決まった13年9月から株価は1万円以上も上がった。延期により多少は追加費用がかかるかもしれないが、投資は回収すべきだ」

コロナ禍で国民の五輪熱は低調なままだとして、

「今の東京五輪は丘の上の豪邸。そこが火の車になろうが、コロナでどうしようが、全く国民は興味がない。(中略)丘を下りて市民とともに大会をつくらないと。(中略)内村の言葉になるけど、ダメじゃなくて、できることを考えようと。組織委の情報公開や広報戦略もまだまだだ。情報をどんどん出して、スーパーに集まる主婦たちが『五輪応援してるわ』というぐらいにならないといけない」

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私は内村の発言は
「君たちは、アスリートの僕たちの活躍を見たいだろう?だったら東京オリンピックが何とか開催できるように、君たちが考えてくれよ」

だと翻訳したが、61歳のこのおっさんは
「ほかのアスリートも内村みたいに言えよ。一般の奴らは馬鹿だから、みんなが言えばオリンピックやろうって言い始めるって。そうしないと金が回収できねえじゃねえか」

と言っているわけだ。こういう勘違い人間がオリンピックを取り仕切っているのだ。頭の中身も筋肉なのだろう。

このおっさんは「日本のスポーツはビジネスであるべき」が持論のようだが、金儲けであるなら一銭も懐に入らない一般国民が賛同する筋合いはない。

“一般の奴ら”は、東京オリンピックどころではないのだ。兄ちゃん姉ちゃんが飛んだり跳ねたりするのを見て喜ぶ余裕はないのだ。
一般の人がアスリートの境遇に寄り添うのではなく、アスリートが一般人の苦境を理解し、その心情に寄り添わなければ、何も始まらない。

選手が口にすべきは、新型コロナ対策への全面的な協力であり、その克服なくしてスポーツの再開はあり得ないという原則論への賛意だ。

それにしてもこんなコメントを無批判で掲載する日刊スポーツのレベルの低さも問題だ。記者は「本当にその通りだ」と思ったようだが、よくこれで記者が務まるものだ。

端的に言えば、オリンピックも、あらゆるスポーツも、一般の人々にとっては「命を守るレベルでは、全く必要がないもの」なのだ。スポーツは、人々の日常生活の合間を縫って、邪魔にならないように「させていただくもの」なのだ。

アスリートファーストは、あくまで「競技の中」でのことである。アスリートが、アスリートであることを理由に、一般人より優先されると思った瞬間に、オリンピックもスポーツも、国民のものではなくなってしまう。


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