こういう書き方をするときは主として「罪」について書くのだけれど。
プロ野球選手や元選手が「面白そうなこと」を言ったり、ふざけた動画をアップするのは「笑いのレベルの低下」が進んだからだと思う。
選手はヒーローインタビューでおどけてみせたり、杉谷拳士が野球外で注目されたりするのなどが典型だ。これって、プロの芸人には比較できないほど低レベルだと思うのだが、今のメディアや視聴者は結構受けている。その区別がついていないと思う。

Mー1やR-1というイベントは「笑いの平俗化」、はっきり言えば退化に手を貸していると思う。
Mー1のMは漫才のM、R-1のRは落語のRだ。毎年、コンビ、ピンの芸人が、キャリアや系統、所属会社に関係なく「芸」そのものを競いあう。その優勝者は高額の賞金がもらえるほか、即座にレギュラー番組ができて、スターダムにのし上がる。

その企画自身は面白いと思うが、この成績上位者が「おもしろい」「すごい」となることに、非常な違和感を覚える。人が何を笑うか、誰に好感を持つかは人それぞれである。だから好きなお笑い芸人も人それぞれのはずだ。今風の言い方をすれば、お笑いは「ダイバーシティ」であるからこそ、意味があると思う。

しかしMー1やR-1は、そういうお笑い芸人を序列化し、松本人志などの「お笑いの権威」の手で権威化する行程である。イベントとしては面白いが、ろくにお笑いのことなど知らない人たちが、これをありがたがって、押し頂くようになる。

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そもそも「お笑い」は、「いい加減」で「不誠実」で「不真面目な」芸人という生き方を選択した人間のクズが、たまたま世の中に認められるというものだ。そんな芸人が、あたかもスポーツ選手のように「努力し」「頑張って」栄冠を得て、世間の称賛を得るというのは悪い冗談でしかない。

バブルのころに「料理の鉄人」という番組があって、毎回鉄人たちが料理の腕を競ったが、この番組の後、特定の料理人や店が予約が取れなくなって、その料理人は文化人のようになってしまった。
上流階級はともかく、庶民が毎日食べる「食事」があたかも芸術にようになるのは、いいことではない。料理人の勘違いを生むとともに、食べる人の感覚の劣化を生んだ。自分で判断せず、権威をありがたがるようになったのだ。

「お笑い」は、反復練習や師匠からの伝承がない「感性一発勝負」である。そういう芸能は、その芸人が本当に好きなファンによって支持されるべきものであり、トーナメント的に勝ち抜いて一般大衆の広範な支持を得るものではない。
賞賛している人の大半は、面白さが禄にわからず「Mー1、R-1でいい成績だったから面白いに違いない」と思っている人たちだ。

こうしたすそ野の広いグランプリ形式のコンテストは、共通の課題、共通の技術が存在するジャンルの場合は有効だ。クラシック音楽や、古典舞踊、せいぜい落語くらいまでだろう。R-1から落語家が撤退したのは、反復練習によって体得できる落語の「芸」が、R-1では評価されないからだろう。

Mー1は、人々の「お笑い」の対する感性を劣化させる可能性が高い。私はMー1、R-1はあまり注目していないが、それで優勝した芸人の芸は見る。そして「ミルクボーイはまあまあ」「ペコパは小学生並み」と自分だけの評価をしている。それくらいの見識はあると思っているからだ。

みんながそうでないと「お笑い」は進化しないと思う。


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