M-1、「麒麟が来る」をまたいでみた。決勝の3組を見たが、読者各位はどう思われただろうか?

この3組は、自分で台本を書いて、鍛えに鍛えてきたことが分かる。凄まじいスピードで言葉を飛ばしていたし、突如ハモらせたり、パッと言葉を合わせたり、計算されつくした舞台だった。
鍛えられたアスリートという感じがした。特に今年は、可愛らし気なキャラの立った演者がいなかっただけにそう思ったのかもしれない。「技術」を感じさせた。

それはそれでよいのだろうとは思う。漫才ブームから40年、話芸の進化の高まりを感じる。

しかしながら、そういう上昇志向、努力志向と本来の「芸人らしさ」はどんどん乖離しているように思える。
空しいのは、こうしてM-1のファイナリストになった芸人の多くは、次の日から漫才師が本業ではなくなり、テレビタレントになっていくことだ。最初はひな壇芸人として、最終的には番組MCとして、テレビの中の住人になっていく。ナイツや中川家のように、舞台に重きを置いているコンビもあるが、結局テレビで反射神経よくリターンをして笑いを取れるようになることが「登竜門」の向こうに開けている風景ではあるのだ。当代の芸人の「出世」とはつまるところ「テレビタレントになること」なのだ。
そして名もなく貧しかった芸人は、グルメになり、センスの良い服を着て、それなりの家に住み、ステイタスを得るのだ。

それを寂しく思うのは、私が「芸人とは共同体の外側にいる人」という昔の価値観をいまだに引きずっているからだろう。

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大空テントという芸人がいた。上岡龍太郎の弟子で、私より8歳ほど年上だったが、ほっそりした寂しい風貌の人で、元は漫才師だったようだが、のちピン芸人になる。
ぼそっとつぶやくような芸風は、芸人受けがした。特に明石家さんまに好かれていたように思う。
「わからんかったらほっていくよ、義務教育違うねんから」は大うけで、のちのち落語家や漫才師が使うようになった。しかし全く無名で、テレビに出ることもほとんどなかった。

私がいつ、この人と知り合いになったのか記憶は不確かだ。確かトランプ何某というのちに詐欺で逮捕されたプロモーターのところだったか?いつも顔を合わせると少し話をした。なぜかこの人は会うたびに「カルミン」を1粒くれるのだ。
最後にあったのは近鉄の鶴橋駅のホーム、このときも「カルミン」をもらって、テントは「僕らは仲間やから」みたいなことを言った。

それから何十年も経って、交通事故で死んだことが小さな記事になった。65歳だった。ついに売れることもなく、市井にうずもれて死んだが、彼は正真正銘の「芸人」だったと思う。世を徹底的にすねて「頑張ったるかい」「出世してたまるかい」と意地を通したという意味で。そして他の芸人や一部のファンにこよなく愛されたという意味で。

M-1が盛んなのは結構だが、こういう「芸人」が生きつらくなるのはどうかなあ、とやはり思ったりするのである。


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