少し前から老耄しているという話が聞こえてきていた。コミカルで元気な名将だった。1月7日没。

一応メジャーリーガーではあったが、現役時代の実績は冴えない。

Lasorda-Pitcher


17歳でフィリーズ傘下に入団、しかしすぐに軍役に就き、1948年11月に特例ドラフトでドジャース傘下に移籍。

以後は主としてAAAのドジャース傘下モントリオール・ロイヤルズのエースとして投げる。当時は西海岸やカナダにはMLBチームはなく、マイナー最上位のエースとしてそれなりの実績を挙げた。この時期のチームメイトには、のち俳優として有名になったチャック・コナーズがいた。

1954年にMLB昇格、ロイ・キャンパネラ、ピー・ウィー・リース、ギル・ホッジス、ドン・ニューカムなどが活躍した時代。

しかし活躍できず、1956年3月にカンザスシティ・アスレチックスに譲渡された。監督はルー・ブードロー、しかしぱっとせずヤンキースにトレードされ、さらにニューヨークからロサンゼルスに移転したドジャースに移籍して引退した。

ドジャースのスカウトを経て1965年にマイナーの監督に。監督成績

Lasorda-Manager


7シーズンにわたってマイナー監督を務めたが、成績は非常に優秀、1976年にウォルター・お留守トン監督の代行を務め、翌年から監督に。
ちょうどこのころ、日本ではMLB試合放送が始まった。ラソーダは若手監督として、ドン・サットン、スティーブ・ガービー、デービー・ロープス、ロン・セイなどのスター選手を率いて優勝。
以後も21年にわたってドジャースを率いた。
その監督としてのキャリアは、NPBでいえば1946年から1968年まで南海の監督を務めた鶴岡一人に匹敵する。

野茂英雄はラソーダのキャリア晩年の1995年にドジャースに入団。わずか2年だったが、明るくて投手の機微を知った名称に出会ったことは幸運だったのだろう。


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