毎年、こんなにたくさん大物選手が死んでいたのかな、と思ってしまう。殿堂入り選手がどんどん鬼籍に入っている。
ドン・サットンは、1945年生まれだからまだ75歳。
ロッド・カル―、ラリー・ボーワ、チームメイトだったレジ―・スミス、投手ではジム・パーマーなどが同世代。
NPBでは高田繁、和田徹など。
ガルフ・コースト州立大から、ドラフト施行の直前にドジャースに入団。
1年目のアルバカーキでは南海、近鉄で活躍したクラレンス・ジョーンズとチームメイト。
翌年にはメジャーに昇格し、ここから23年の長きにわたってMLBで活躍した。
二けた勝利は21回に及ぶが、20勝以上は1回だけ。永年ローテーションを維持したが、タイトルは1980年の防御率1位だけ。
サイ・ヤング賞の候補には4回なったが、4位が最高。しかし200イニング以上を20回。
史上最高のイニングイーターといっても良い投手だった。故障者リストに入ったことは一度もなし。剛速球はなかったが、合理的なフォームで、切れの良い速球を制球力良く投げ込んだ。
1971年、巨人がベロビーチでキャンプをした時に、サットンは3歳年下の堀内恒夫に声をかけて、交流が始まった。サットンは堀内にチェンジアップを伝授したという。堀内はそのお礼に落差のあるカーブを伝授した。堀内によるとこれで2人の投手寿命が延びたのではないか、とのことだ。
サットンはスポルディング社製のグラブもプレゼントしたが、これがフィットしたので堀内は以後、アメリカに行くたびに同じグラブを4~5個購入したという。
NPBとの交流も深かった大投手だったのだ。
2020年石山泰稚、全登板成績【ホールド相当の引き分けが8つ】
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1971年、巨人がベロビーチでキャンプをした時に、サットンは3歳年下の堀内恒夫に声をかけて、交流が始まった。サットンは堀内にチェンジアップを伝授したという。堀内はそのお礼に落差のあるカーブを伝授した。堀内によるとこれで2人の投手寿命が延びたのではないか、とのことだ。
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この記事を読んでNumberでドン・サットンの独占インタビュー記事があったのを思い出しました。記事の見出しは
「300勝投手 ドン・サットン 長続きの秘訣は腕を大切にしたから」(Number 211号 1989年1月6日発売)
残念ながら「腕」に関するコメントは思い出せませんが、走り込みに関して、「投手に下半身の強化は必要だが、地上を走り過ぎると故障の可能性があるので、プールの中をランニングした。」といった内容のコメントをしていたような記憶があります。
75歳で亡くなったのは本当に残念です。
baseballstats
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