ショックとしか言いようがない。野球界の「長者」とでも言うべき偉人だった。
ジャッキー・ロビンソンやラリー・ドビーを黒人メジャーリーガー第1世代とすると、アーロンやウィリー・メイズらは第2世代ということになる。日本でいえば長嶋茂雄、野村克也の1歳年長。衝撃的なデビューをしたロビンソンが敷いた道を歩んできた。

キャリアSTATS

Aaron-Hank


二グロリーグを1シーズンだけ経験して、ボストン・ブレーブスへ。以後、チームがミルウォーキー、アトランタと移転する間も主軸打者としてプレーした。

当初はバランスの良い中距離打者であり、1956年に首位打者。しかし以後は長打が増してリーグ屈指の強打者に成長していく。

3歳年上のウィリー・メイズはデビューも3年早いが朝鮮戦争から復員して本格デビューとなったので、ほぼ同時代。
アメリカン・リーグではジョー・ディマジオからテッド・ウィリアムス、ミッキー・マントルと白人のスターが活躍したが、ナショナル・リーグはアーロン、メイズ、ロベルト・クレメンテなど黒人の強打者が覇を競った。

メイズとアーロンのキャリアSTATSを並べてみる。

MaysAaron


メイズはホームラン王4回、首位打者1回、盗塁王4回、アーロンはホームラン王4回、打点王4回、首位打者2回。
メイズは「ザ・キャッチ」に象徴される5ツールプレイヤーの走りと言うべき強打者で、若い頃は足が最大の武器だったが、アーロンも20代半ばから積極的に走った。
この2人がナ・リーグの野球をけん引したのだ。

ベーブ・ルースの714本を抜いたときの騒ぎは日本にも伝わってきたのでよく覚えている。黒人差別が根強くあったから脅迫事件などもあった。

それを克服してアーロンは755本塁打。王貞治が756号を打った時も大変な騒ぎだったが、球場の大きさが違うから比較はできない。

1974年の王貞治との本塁打競争は強烈に印象に残っている。バットにボールを載せる技術は素晴らしかった。あとで知ったが、アーロンがブリュワーズのユニフォームを着たのはこれが最初だったのだ。

殿堂入り大選手の相次ぐ死去は、時代の終焉を意味しているのではないか。


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