西鉄ライオンズの全盛期は短かった。60年代に入ると低迷期を迎え1969年の「黒い霧事件」でとどめを刺されるのだ。
1960年代、野手はそのポジションのRC1位、投手は最多勝


捕手の和田は俊足巧打。指導者としても優秀で、アメリカ野球留学の道を拓いた。早世が惜しまれる。
一塁は外国人選手のアグリー、大洋から移籍して1年目だった。
二塁はバーマ。ウィルソン、ロイとともに外国人トリオは西鉄の名物だった。
三塁は城戸。三振が多い荒っぽい打者だったが長打があった。
遊撃は引き続き豊田。しかし1963年には国鉄に移籍する。
左翼は左打ちのシャープな打者、玉造。
中堅は引き続きキャップ、高倉。
右翼は西鉄では5番打者だった田中久寿男。田中と高倉は巨人に移籍している。
そして投手は42勝、NPB最多タイの記録を上げた稲尾。この年西鉄は優勝していない。1963年を最後に稲尾の成績は急落する。
2020年S.パットン、全登板成績
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中堅は引き続きキャップ、高倉。
右翼は西鉄では5番打者だった田中久寿男。田中と高倉は巨人に移籍している。
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表の選手で西鉄に引退まで在籍したのは、稲尾・和田・玉造のみ。西鉄グループ全体の経営が苦しくなってきて、経費削減を目的とした主力選手の放出が激しいです。稲尾の放出案まであったそうですが。
それでも1963年は外国人トリオの加入で5年ぶりの優勝。1966年は池永・田中勉を中心とした投手力で、最後の優勝争いを展開。1968年以降は5位に転落していくが、無い袖は振れなかったのか如何ともしがたかったですね。