橋下徹やスポーツ関係のコメンター、与党議員が「森さんの東京五輪への貢献度は大きい」「余人をもって代えがたい」というたびに違和感があったのだが、この記事を読んで得心した。


森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習ドーム社長 安田秀一

書いたのはスポーツアパレル企業の社長で、スポーツマネジメントにもかかわる人だ。

森喜朗の東京五輪に関する「貢献度」とは、まずは東京開催に関わる国際的なネゴシエーションでありIOCとのパイプだった。開催が決まれば、IOCに対し有利な条件を引き出すこともしただろう。
同時に、五輪関連の予算を政府から引き出すうえでも剛腕を発揮した。
橋下や関係者、与党政治家はこうした能力を「余人をもって代えがたい」ものだと言っているのだろう。

確かに日本に東京五輪を持ってきた功績は(森喜朗だけの手柄ではないが)は、一般の日本人にとっても喜ばしいものではあった。東京でオリンピックが行われることはスポーツ好きでなくてもうれしいニュースではあった。
しかし、新型コロナ禍によって「オリンピックどころではない」状況になる中で、何としても東京五輪を強行したい日本政府やスポンサー企業、メディアなどの姿勢が、一般国民と遊離してしまった。

平時であれば、一般国民も「東京五輪のステークホルダーだ」と思うことができた。しかし新型コロナ禍で人々の生活が疲弊する中、東京五輪の優先順位は一般国民にとってどんどん低下していった。
そして相も変わらず「何としても東京五輪を」と言いたてる政府やメディアに対して、「自分たちとは別の立場の人たちだ」と思うようになった。
言い方を変えれば、多くの人々は「自分は東京五輪のステークホルダーではない」と思うようになったのだ。

その目で見れば、森喜朗のやってきたことは「五輪で潤う仲間内に対する利益誘導」だと見えてくる。予算を引っ張ってくることなど、自分たちの税金をお手盛りで使っているだけ、ということになる。「余人をもって代えがたい」と思っているのは、森が引っ張ってくる利得を享受する人たちだけであって、一般の人には関係がない。むしろ税金の無駄遣いをされるという点では、害があると言っても良いだろう。

安田秀一さんの記事で登場するピーター・ユベロスは、金食い虫となって世界から敬遠されていた五輪に商業主義を導入して1984年のロス五輪を行って、ビッグビジネスに代えた人だ。五輪の商業主義に問題はあるが、税金を使わずに五輪を行い、2億ドルという莫大な利益を生んだ。ユベロスはMLBのコミッショナーにもなり、MLBを劇的に変えたが、「余人をもって代えがたい」とはこういう人物のことを言うのだろう。

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森喜朗のやったことは、自民党の在来型の政治家ならだれでもやってきたことだ。肩書や権力を背景に利益を引き出すのは、日本の保守政治家の常套的なやり方であり、森喜朗の専売特許でも何でもない。彼らはそうやって税金を自分の身内に分配してきたのだ。
彼を評価する人は、そういう形での利益誘導の恩恵にあずかりたい下っ端だということだ。

橋本聖子や丸川珠代は、女性である以外は森喜朗とあまり変わらない人物だ。彼女たちも「東京五輪を何としても開催する」という名目で行動し、狭い範囲のステークホルダーを喜ばせるはずだ。

しかしもはや東京五輪のステークホルダーでも何でもなくなった一般の人々には、何も響かないだろう。本当に国民のためを思うのなら「開催の是非も含めて、何が国民のためになるのかを、皆さんと一緒に考えていきたい」と言うべきだ。

「上級国民」という言葉は嫌な言葉だし、そんな存在がいるとは私は思っていないが、日本国民の中に「東京五輪は、私には何物ももたらさない」と思っている人が、圧倒的に多くなっていることを、政府や五輪関係者は思い知るべきだろう。



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