1月末から2人の「昭和の名投手」が逝去している。追いかけて追悼したい。
高橋里志は敦賀工業、電電北陸から1967年ドラフト4位で南海へ

キャリアSTATS

Satoshi-Takahashi


入団当時、南海には高橋博という捕手がいたために「高橋里」と呼ばれていた。名鑑などでその名を目にしたことはあったが、ほとんど記憶にない。

1972年に一度自由契約になる。野村克也とぶつかったのだという。

しかし元南海で広島に戻った古葉竹識監督に誘われ広島入団。投手は打撃投手だった。ここから頭角を現し、1976年にローテーションに定着、1977年には20勝を挙げ最多勝。
しかしこの年の記録はかなり以上だ。130試合制で3割以上の40試合に登板、284.2回を投げ111もの四球を与えている。
がっちりとした大柄な投手で、速球派だったが制球はおおざっぱで、粗っぽい投手だった。
翌年もリーグ最多の33先発を記録するが、それ以降は成績を落とす。

1981年にトレードで日本ハムへ。翌年に防御率1位のタイトルを獲得。この年、同じ日ハムの工藤幹夫が20勝を挙げ防御率も2.10で1位だったが、高橋里は9月26日の近鉄戦で5.2回を投げて規定投球回数に達して防御率1位になった。大沢啓二監督は2投手にタイトルを分け合わせた形になった。

17年のキャリアで61勝の割に最多勝と最優秀防御率、効率の良い投手だったと言えよう。
性格はやや狷介で、いろいろなトラブルがエピソードとして残っている。


2020年S.パットン、全登板成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!