実像よりも虚像の方がはるかに世間に流布した不思議な選手だった。

名門小倉高校から早稲田大、大昭和製紙を経て1971年ドラフト6位でヤクルトへ

Takeshi Yasuda


この世代の早稲田大には、安田の他、荒川堯、小田義人、谷沢健一、阿野鉱二、小坂敏彦、大木勝年と7人ものプロ入り選手が出た。このうち安田、荒川、小田、大木の4人がヤクルトに在籍。大木はヤクルト球団専務も務めた。また法政大の山中正竹、江本孟紀らとも同世代。

即戦力であり1年目の開幕3戦目に2番手投手として登板。2日後の18日には初先発。1年目から防御率1位のタイトル。2年目も防御率1位。
1971年には81イニング連続無四死球のNPB記録を樹立。

今のMLBでいうところのスイングマンであり、先発と救援を掛け持ちして長く活躍。打たせて取る技巧派だが四球が少なく、安定感があった。

王貞治との対戦成績は126打数32安打10被本塁打16奪三振、打率.254とまずまず抑え込んだ。

1979年に右ひざを負傷してからは成績が下落し、キャリア10年で引退した。

引退後は長くヤクルトで指導者、フロントで活躍。母校小倉高校の指導者にもなったが、病気を得て志半ばで亡くなった。

サイドスローで、さっささっさと投げる投手。四球も少なかったので、先発した試合は短かった。この点、同時期の中日、松本幸行と通じる部分がある。

タブチくんのエピソードは全部フィクションだったとのことだ。印象深い投手ではあった。


2020年S.パットン、全登板成績

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