コメント欄でやりとりをしたことで、改めて玉木正之さんのこの本をパラパラめくってみた。
この本については以前にも紹介したが、ジャーナリスト、物書き玉木正之の基本的な姿勢が明確に紹介されている。
パラ見していてこんな一説が目に留まった。
玉木さんは若い頃、編集者から「インタビューする相手と仲良くなって酒を飲んで、本音を引き出せ」と教えられたが「本音を聞きだして何になるのか」疑問に思っていたという。酒を飲めば本音が出てくるということ自身も疑わしい。酒を飲んでも、酔っても仮面をかぶっているような人もいるだろうし、そもそも「本音」が大事かどうかもわからない。
それよりも大事なのは「スポーツ」なのだから、「スポーツの何を訊きたいのか」があれば、スポーツ・ジャーナリストにとってはその人の本音などは、どうでもいいことだ、と。
大胆な意見だ。私も含めてフリーランスのライターにとって苦手なのは、ターゲットに密着することだ。新聞やテレビなどの「番記者」は四六時中対象となる選手や指導者に密着し、時には酒席を共にし、あたかも友達のように語り合う。それこそ「本音」も聞き出すことができる。
我々はアポイントをもらって話を聞く時間以外に、取材対象と密着することはできない。
新聞記者などが、私たちに向ける目は「大して知りもしない選手について、よく書けるよな」であり「俺はお前の何倍もあの選手について知っている」なのだ。
しかし残念なことに、それほど選手を良く知っている記者が、刮目するような記事を書くことはめったにない。ほとんどが誰でも書けるような、当たり障りのない記事だ。
一つは「知りすぎた故に、都合の悪いことが書けなくなる」ことがある。取材対象とジャーナリストという距離感がなくなることで、相手に同情したり、忖度したりすることになる。本来記者のロイヤリティは読者に対するものであるはずが、取材対象に傾いてしまっているのだ。
もう一つは、記者自身に「知りたいこと」「書きたいこと」がない場合が多いこと。取材対象と密着していても、問題意識がなければ、何も発見できない。そもそも「本音」を聞き出すためには「質問」が必要だが、それが出てこない。
玉木さんは「一番大事なのはインタビュワーが何を表現したいのか」だと言った。野球の記事もクリエイティブであり、表現活動なのだから、聞き手の側のクリエイティビティが求められるのだ。
結果としてその選手の「本音」以外のコメントだったとしても、それを書き手がどう受け止めて表現するかが重要なのだ。
私は人の話を聞いて文章にまとめる仕事を始めて40年近くになるが、この言葉には、非常に勇気づけられた。
2018~20年山﨑福也、全登板成績
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
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玉木さんは若い頃、編集者から「インタビューする相手と仲良くなって酒を飲んで、本音を引き出せ」と教えられたが「本音を聞きだして何になるのか」疑問に思っていたという。酒を飲めば本音が出てくるということ自身も疑わしい。酒を飲んでも、酔っても仮面をかぶっているような人もいるだろうし、そもそも「本音」が大事かどうかもわからない。
それよりも大事なのは「スポーツ」なのだから、「スポーツの何を訊きたいのか」があれば、スポーツ・ジャーナリストにとってはその人の本音などは、どうでもいいことだ、と。
大胆な意見だ。私も含めてフリーランスのライターにとって苦手なのは、ターゲットに密着することだ。新聞やテレビなどの「番記者」は四六時中対象となる選手や指導者に密着し、時には酒席を共にし、あたかも友達のように語り合う。それこそ「本音」も聞き出すことができる。
我々はアポイントをもらって話を聞く時間以外に、取材対象と密着することはできない。
新聞記者などが、私たちに向ける目は「大して知りもしない選手について、よく書けるよな」であり「俺はお前の何倍もあの選手について知っている」なのだ。
しかし残念なことに、それほど選手を良く知っている記者が、刮目するような記事を書くことはめったにない。ほとんどが誰でも書けるような、当たり障りのない記事だ。
一つは「知りすぎた故に、都合の悪いことが書けなくなる」ことがある。取材対象とジャーナリストという距離感がなくなることで、相手に同情したり、忖度したりすることになる。本来記者のロイヤリティは読者に対するものであるはずが、取材対象に傾いてしまっているのだ。
もう一つは、記者自身に「知りたいこと」「書きたいこと」がない場合が多いこと。取材対象と密着していても、問題意識がなければ、何も発見できない。そもそも「本音」を聞き出すためには「質問」が必要だが、それが出てこない。
玉木さんは「一番大事なのはインタビュワーが何を表現したいのか」だと言った。野球の記事もクリエイティブであり、表現活動なのだから、聞き手の側のクリエイティビティが求められるのだ。
結果としてその選手の「本音」以外のコメントだったとしても、それを書き手がどう受け止めて表現するかが重要なのだ。
私は人の話を聞いて文章にまとめる仕事を始めて40年近くになるが、この言葉には、非常に勇気づけられた。
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取材者は「酒の席の話だから滅多なことは書けないなあ」
対象者は「酒を囲んだのにあんなこと書くのか」
読者は「好きな●●のことを悪く言う奴の意見は全部認めない」
評論や記事は発表されてしまいではなく、そこから様々な議論に発展してこそ意味があるのに、大意を無視した揚げ足取りや揶揄が飛び交うのがほとんどです。SNSがますます拍車を掛けていると思います。
面と向かって言われたら掴みあいのケンカになってしまうようなことでも、文字にして論評することで、冷静に意見交換できる余地が生まれ、そのためにこそライターや記者は存在するのではないでしょうか。
私も広尾さんの記事に対して、諸手を挙げて賛成することもあれば、疑問に思うこともありますが、記事をきっかけに自分なりに考察することで、新たな見解を得ることもできます。
生理的、感情的に気に食わなければ目にしなければいいのに…。
やたらに場を荒らす行為は理解できません。
(一方で返信コメントで真っ向から立ち向かうやりとりを眺めるのも決して嫌いではないのですが…)
baseballstats
がしました