この背番号も、一時期活躍した外国人選手がつけていた。
背番号「67」シーズン安打数50傑

No67


クレイグ・ブラゼルは西武時代は「42」、阪神に移籍して「67」をつけた。なかなかひょうきんで気さくな選手だった。

67Brazel


黒江透修といえば「5」だったが、1964年から67年まで「67」をつけた。

マイク・クレスニックは1964年に36本塁打を打った。選球眼は良かったようだ。

田中浩康はキャリア最晩年、DeNAの2年間だけ「67」をつけた。



的場直樹もキャリア最晩年、ロッテにいた3年間だけ「67」をつけた。

67Matoba


中川圭太は中軸の期待がかかる。

67Nakagawa


2019年は新人で交流戦の首位打者になっている。

銀次は2006年入団から2011年まで「67」。一軍の試合に出たのは2010,11年の2年だけ。

下妻は2020年から「67」をつけて楽天の正捕手を狙っている。

67Shimoduma


近藤弘基は、近藤真市の息子。親父が投手コーチを務める中日で、外野手としてプレーしたがレギュラーの座は遠かった。

67Kondo


これは最終年となった2019年の二軍、春季キャンプ。

最後に李杜軒を紹介する。台湾出身でソフトバンクでは結構期待されたがパッとせず。ロッテに移籍して「67」をつけた。その後琉球ブルーオーシャンズに行った。

67Lee



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1971~73年梶本隆夫、全登板成績

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