加藤優が今夏の「全日本女子硬式野球選手権大会」を最後に引退するという。
私は彼女について回った「美しすぎる女子野球選手」と言う言葉を多用したメディアは、セクシャルハラスメントをしていたと思う。
加藤優は、厚木商ソフトボール部から埼玉アストライアに入団、左打ちの外野手として活躍した。

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Y-Katoh


リーグを代表する外野手ではあるが、同僚だった川端友紀や三浦伊織などのトップクラスの選手には及ばない。これからの選手だったと言えよう。

しかし彼女は入団時から「美しすぎる女子野球選手」というフレーズが付いて回った。女子プロ野球がじり貧で、話題作りをしたいと考えていたことが大きい。

女子プロ野球は、わかさ生活創業者の角谷建耀知が興した。以後、絶対的な権力者としてリーグ運営を仕切った。そのやり方は強引で、文春砲には「首領様」と呼ばれた。東久邇宮記念賞を受賞するなど「トンデモ経営者」だったと言ってよい。
ある時期女子プロ野球は選手の登録名から名字をとっぱらって、下の名前だけにしたことがあった。「由美」「亜里沙」「綾美」など、源氏名のようになって誰が誰やら識別が付かなかった。角谷オーナーはこれくらいのことは平気でするような感覚だったと言えよう。

だから「美しすぎる」くらいのことは言っても不思議はなかったが、情けないのはメディアである。一般紙はさすがにあまり取り上げなかったが、スポーツ紙は彼女に飛びついた。そして彼女は「美しすぎる」だけの存在としてメディアに露出した。

そもそも「美しすぎる」と言う言葉そのものが「差別意識」を含んでいる。この言葉が使われるのは、容姿が関係ない職種に限られる。「美しすぎる俳優」「美しすぎるタレント」と言う言葉はない。スポーツ選手や政治家など、容姿と無縁の職業でありながら、容姿が整っている人に冠せられる。
そこには「不細工でも構わない仕事なのに、美人じゃないか」という女性やその職業に対する侮蔑の視線がある。そしてこの言葉を使うことで言外に「彼女の同僚は“美しすぎない”」と言っていることになる。何一ついい意味は含まれていないと言っても良い。

昨今の「性差別」に対する目覚ましい変革の中で、こうした無神経な言葉を平気で使うメディアを私は心から軽蔑する。

「でも彼女だって歌手デビューしたり、タレント活動をしたり“美しすぎる”ことで金儲けしているじゃないか」と言う人もいるだろう。確かに世の中には「容姿」と言う価値基準は存在する。それによって利得を得る人もいる。しかし彼女が自らの容姿を活かして芸能活動をするのは「普通のこと」である。
それは彼女の本業である「野球」とは関係なかった。「美しすぎる」ことで安打が増えたり、好プレーできたわけではない。
本業であるスポーツの分野で活躍する加藤優をいつまでも「美しすぎる」としか評さないメディアは怠慢であり、彼女の努力や才能を評価していないことになるだろう。

彼女は「美しすぎる」と書かれることが「しんどかった」と言っている。キャリアが終わったのは女子プロ野球が経営を投げだしたからだが、残念な終わり方だったのかもしれない。

日本のメディアは、口を開けばセクハラだ、不倫だと他人の不行跡を書き立てるが、彼らの「性差別」に対する認識は、社会でも最も低いレベルにあると言ってよい。いつ「非難される側」になってもおかしくない。
恥ずかしいことだ。


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