東京五輪については、野球のことだけを必死に考えている。野球は一応仕事だが、他のスポーツにはファンとしてかかわるだけだからだ。東京五輪のファンになるのはやめておこうと思っている。
こういうことではないかと思う。

日本に戦争の機運が高まってきたとする。新聞各紙、とりわけリベラルを標榜する紙は「世界平和」「万国融和」を訴えて、戦争反対のキャンペーンを張っていた。
戦争が始まれば、兵士が犠牲になるし、市民も平穏無事ではいられない。何とか回避する道を探るべきだと。

しかし戦争が始まったとたん、右も左もなく新聞、メディアは勇ましく戦った兵士たちを「国の英雄」とたたえ始めた。直前までの気難しい表情はどこかへ消え失せ、ちょうちん行列でもしかねない勢いである。実は、各新聞社は戦争に協力する契約を結んでいたのだ。

メディアの論調に同意していた読者は、いったいどうすればいいのか途方に暮れるばかりである。

おそらくこれまでの五輪に比べれば、関心度は多少低いのだとは思うが、日本人が金メダルを取れば、日本中で拍手喝さいが起こっている。これ、どうしようもないことだとは思うが、同時に、裏切られたような感情を抱かざるを得ない。

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メディアは、今回の手のひら返しについて、読者、一般国民が納得するような説明をする義務があると思う。
玉川徹は「五輪を純粋に楽しみたい人のために、放送するべき」といったが、純粋に楽しみたい人というのは、それまでどこに隠れていたのだろうか。

玉川徹の番組は、新型コロナ禍で、日々不安や不便を感じながら「こんなときにオリンピックなんて考えられないよな」と思っていた人を相手にして共感を得ていたはずだ。
しかしオリンピックが始まったら、そういう人は全部隅に追いやって、コロナ禍でもあまり心配していない人、オリンピックに期待していた人に「乗り換えた」というのだろうか?

それとも不安を感じていた人は、五輪開幕とともにその不安を、どこかに投げ捨てたとでもいうのだろうか?

もともと「五輪反対」は、視聴率を得んがための「方便」であって、五輪スポンサーでもある朝日新聞、その系列のテレビ朝日は、五輪に反対する気などなかったというのか?

人を馬鹿にするにもほどがあると思う。

今回の「変心」について、朝日、毎日などのメディアは、国民に納得いくような説明をする義務と責任があると思う。

二階に上がってはしごを外された一部国民の、残念過ぎる気持ちを思い知るべきだ。



大島康徳、チーム別&球場別&選手別アベックHR数|本塁打大全

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