NHKでショパンコンクールについて紹介していた。100年以上の歴史がある権威ある大会だそうだ。
予選を通過して本大会に出場した80数人の演奏者のうち、最多は中国人、続いて韓国人、地元ポーランド人、日本人だそうである。
西洋の音楽界からしてみれば、大相撲の世界に海外からどんどん大男がやってきて、横綱大関を独占された日本の相撲界と同じような心持ではあろう。
「いくら指先が良く動いても、お前らアジア人にポルスカのハートが分かってたまるか」という人もいるだろう。

それはともかく、ショパンコンクールでは中国人、韓国人は優勝しているが、日本人はいいところまで行くが優勝者はいないと言う。これについて評論家は

「日本人は先生の言われた通りきっちりやることは得意だが、型破りな表現、自分で自分を表現することが苦手だからだ」

と言っていた。そういうことだろうなと思う。日本人は「反発すること」「いうことを聞かずに自分の判断で動くこと」が本当に苦手だ。
その背景には、若者、下位の者を支配したがる上位者の意向が強いことがあろう。日本では「上下関係」が非常にうるさい。学年が1年違えば後輩は先輩に敬語だし、会社の序列も極めて厳しい。
極端に言えば、社会には目に見えない「序列」が常に存在して、日本人はその序列を常に意識して振舞わなけれなならない。

日本社会で、スムースに生きていくためには「序列上位者にさからわないこと」が一番大事。最近はパワハラ、セクハラがうるさいから、上の者が吠える前に下が気をまわして「率先して意のままに動いた」のように見せることも大事。

昨日の総裁選など、その典型のようなものであって、10年経ったらいなくなるような老人の意向を酌んで、働き盛りの連中がせかせかと動き回ったわけだ。そして「反骨」を示した政治家には関係ない人々までが「身の程知らずが」「馬鹿者が」と嘲笑する。ああ、嫌な国だと思う。

そういうちまちました「気働き」が今も大事な日本だから、若者たちも縮こまるのだろう。
今回の参加者の中には、東大の大学院生など音楽だけでなく他の分野でも活躍するようなスケールの大きな若者もいるようだ。
彼らは思い切って「日本を捨てて、足蹴にして」ほしいと思う。そうしないと日本は終わってしまう。

ささやかながら私は今年も「アンチ甲子園」で行われる高校野球のリーグ戦「Liga Agresiva」をお手伝いしている。今年はずいぶん大きくなるが、そうなれば既存の野球界からの風当たりも強くなるだろう。微力ながら、端っこの方でもその風よけになればいいと思っている。

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1965年及川宣士、全登板成績

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