トップアスリートとしての橋本聖子は、内心忸怩たる思いではあったのだろう。後輩アスリートにまともなステージを与えることができなかったのだから。
アスリートにとってオリンピックは、たんなる「競技会」ではない。世界中から集まった大観衆の前で、世界トップクラスのライバルと一世一代の勝負をする、究極の舞台だったはずだ。もちろん、メディアもトップニュースで活躍を伝える。

しかし今年の東京オリンピックは、ほとんどが無観客で行われた。新型コロナで仕方がなかったといえばそうだが、安倍晋三が「1年延期」に固執したために、海外の観客を呼ばず、国内のお客さえほとんど入れないままで行われた。単なる「記録会」である。メディアはそれなりに伝えたが、アスリートがイメージしていた「究極の舞台」とは大きく異なっていたはずだ。しかも第5波の最中であり、爆発的な感染拡大の仲だったために、日本国内でさえも「それどころではない」騒ぎだった。

そして、灼熱の中での競技は多くのアスリートを苦しめた。テニスやマラソンや競歩で熱暑は、熱暑のために多くのリタイア選手が出た。
東京五輪にエントリーした際に「特定非営利活動法人東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会及び東京都」が提出した東京五輪立候補ファイルには
「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリート が最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。」
と書かれていた。何としても五輪を呼んでくるために、虚偽、少なく見積もっても誇張した表現でプレゼンしたのだ。
アメリカのNBCなどのメディアの圧力で、夏季オリンピックは8月にしか開催できない。前の五輪のように10月、つまりちょうど今頃に開催していれば、まさに「晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリート が最高の状態でパフォーマンスを発揮でき」たはずだ。
結果論だが、せめてこの時期までずらしておけば、日本国民は落ち着いて選手を応援できたはずだ。

しかし東京五輪は強行された。菅政権が自分たちの支持率を犠牲にしてまで強行したのは、今から思えば前政権の「失策」を糊塗するためだったのだ。
政権党の一員として、橋本聖子はこの決定に唯々諾々としたがい、スポーツ部門のトップとして大会組織委員会委員長の任を全うした。与党政治家としては至極当然だったかもしれない。また「上の言うことには絶対に逆らわない」伝統的な日本アスリートとしても当然の行動だったかもしれない。

しかしアスリート橋本聖子は今になってこういったのだ。
朝日新聞
「この時期にしかやれないのは無理だと、会長をやってつくづく思った。国際オリンピック委員会が持続可能な大会を考えるなら、世界のスポーツ団体と(新たな)枠組みを話し合う必要がある。時代に求められる五輪に生まれ変わっていかなければ」

それを今言うか、とあきれる思いだが、サル山のボスに逆らうことができないサルとしては、こういうことしかできなかったのだ。橋本聖子はアスリートの代表でも味方でもなく、何の役にも立たなかったといっていいだろう。

五輪反対の声に対して「嫌みでなく、本当にありがたかった」といったのは、政治家の視線に戻っての強がりだろう。しかし本人は、悔悟の念を持っているのだと思う。

「新たな五輪を作るべき」という意見には同意だが、橋本聖子はこの議論からは外れてほしいと思う。大事なところで権力に阿るようでは、建設的な取り組みには不適格だ。スポーツの未来を語る場には、橋本聖子はもう必要ではない。

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