しつこいようだが「公式戦で引退試合をすること」についてもう少しいう。
プロ野球は「公式戦」を行い、野球と言うスポーツを通じてスポーツの普及、健全な青少年の育成に貢献している。文部科学省とその下部のスポーツ庁がプロ野球を管轄しているのもこのためだ。いわば「公式戦」をすることで「公共財」になっていると言っても良い。
もちろんプロ野球各球団は利益を追求する私企業ではあるが「公共財」としてプロ野球を維持、尊重する前提で、利益を追求している。

そういう意味で、選手は「公式戦」に出場する限りにおいて「公人」だと言える。活躍することで年俸が上がるなどのメリットはあるが、「公人」として「公式戦」の意義を尊重し、その維持継続に寄与しなければならない。

選手の引退とは、普通に考えて「公式戦に出場できるだけの技量、力量がなくなった」ことを自ら認めることである。その時点で選手は選手でなくなり「公人」ではなくなったことを意味する。

「引退試合」は、元選手がファンに別れを告げるセレモニーだから、どうかんがえても「私事」だ。プロ野球が「公共財」であることを考えれば「私事」がそこにさしはさまれる余地はない。

IMG_2386


ここまでは自明のことであるのに、最近のプロ野球は「私人」になった元プロ野球選手を「公事」である「公式戦」に出場させることが横行しているのだ。
球団は、これがおかしいことであるのは理解しているはずだ。なのに敢えて行うのはファンが喜ぶからだ。

2018年に私はNumber Webでこれに異議申し立てをする記事を書いた。

引退試合を公式戦に組み込むことに違和感を持つのはおかしいこと?
NumberWeb


このときはまだNumber Webにコメント欄があったが、ずいぶん非難するコメントが集まった。ヤフトピも同様だった。今見たらTwitterには、こんなコメントが残っている。

プロ野球はあくまで興行なんだから、公式試合で引退試合やることも興行の一つで別に違和感ないかな。加賀も平田も真剣勝負して結果三振になったように見えたんだけど…

心に隙間風が吹いてんのか?寂しいね
こんな記事を書くなら、野球なんて見なきゃいいのに、心に余裕のない生活してんだろうなぁ可哀想


このブログの読者ならこれらのコメントのおかしさが分かると思うが、こうしたファンが多数増殖しているのだ。

これらのファンは、球場に行けば「応援」と称して大声で騒ぎまくる人々でもある。
こうしたスタンドでの「応援」も、「公式戦」と何ら関係のない「私事」だが、多くのファンは自分たちがやっている児戯に等しい行動で「試合に参加している」と思っている。そして「ファンが喜ぶことをやる」のがプロ野球だと思っている。

「ファンが喜ぶんだから、公式戦に引退した選手が出場するのはあり」というのが彼らの理屈だ。

問題だと思うのは、これがだんだんにエスカレートしかねないことだ。
「ファンが喜ぶ」ということであれば引退した野球選手や「野球大好き芸人」が、公式戦でプロ野球選手と真剣勝負することだってあり得るかもしれない。
桑田清原が1日だけ巨人と契約して公式戦に出るとか、ティモンディ某が、オリックスと契約して救援投手で投げるとか。そういうことも可能だと言うことになりかねない。

かつてMLBでは、1965年、アスレチックスが59歳の黒人投手サチェル・ペイジと契約し1試合だけ試合に出して「最高齢登板記録」を作らせたことがあった。今はこうした人気取り政策は否定されているが、NPBではこうしたことが起こりかねない状況だ。

「野球ファン」とは球団や選手に「自分たちが望むことをやってほしい」とおねだりする人のことではない。厳しい競争を勝ち抜いて最高の舞台に立っている選手たちに「邪魔にならないように」配慮しながら、観戦する人たちのことだ。「応援」は、極論すればどうでもいいことだと思う。

「公式戦」「公事」へのリスペクトを忘れた「私人集団」のことを、野球ファンとは言わない。

ファンは、なぜ引退選手を試合前の「始球式」などで送るだけでは、不満なのだろうか?それで十分ではないのか?


省エネ投球でイニングを稼ぐ/2002~2021・9回100球未満投球者一覧

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!