力士の引退は本場所中の支度部屋や部屋などで表明されるが、引退を表明すればその日、取り組みが組まれていても出場することはできない。
何度か書いたが、大相撲は「命を懸けて戦う」ものとされているから、引退を表明して戦闘意欲がなくなった力士が土俵に上がるのは、対戦相手に対して失礼だし、また危険だとされているのだ。

さらに言えば大相撲由来のことばである「八百長=敗退行為」を誘引しかねない恐れがあるからだ。
引退を表明した力士に、はなむけのつもりで負けてやる力士が出たとすれば、これは「八百長」であり、大相撲では「あってはならない」行為である。
断っておくが、大相撲に八百長がないと言っているわけではない。八百長は実質的に存在するだろうが、それを「公然と行う」ことはあってはならない。原理原則の話である。

力士とはあくまで「戦闘意欲」がある人のことだ。注意すべきは「戦闘能力」がなくなっても、土俵に上がれないわけではないことだ。
新横綱照ノ富士は大関まで昇進した後に、故障と病気によって休場が続き、序二段まで落ちたが、そこから復活して横綱になった。長期間休場したのは相撲が取れる体調ではなかったからだ。この時点では照ノ富士は一時的にせよ「戦闘能力」はなかったと考えられるが、本人に現役続行の意志があり、師匠、部屋もそれを認めたので前代未聞の「大関から序二段転落」という事態であっても、現役続行できたわけだ。「戦闘能力」がなくても「戦闘意欲」があれば、土俵に上がることができるとはこういうことだ。

もちろん、もともと上位で戦うだけの「戦闘能力」がないと師匠や周囲が見なせば、本人がいくら「戦闘意欲」があっても、引退、廃業させられることはある。しかし本人が引退を表明せず、師匠もそれを支持している限りは現役は続行できる。

松坂大輔の例で言えば、彼はNPBに復帰後、ほとんど試合に出ず、実績を残すことができなかったが、本人に「現役続行」の意欲があり、球団がこれを容認していれば、いつまででも選手であり続けることができる。力士の場合、本場所で負けたり、休場が続け番付が下がるが、野球選手の場合、二軍に落ちたり、育成選手になったりする。
私はもちろんそれを苦々しく思っていたが、このこと自体はルール違反でも何でもない。

しかし、松坂が「引退する」と表明すれば、そこからは彼の立場は180度変わるはずなのだ。
引退するとは「選手としてプレーする意志を放棄した」ことになるから、公式戦に出場することはできないはずだ。
引退を表明した選手が公式戦に出るのは相手チームに対して失礼だし、低レベルのパフォーマンスを見せることは観客に対して失礼だ。

観客から金をとってスポーツを見せることで成り立っている、プロスポーツは、こうしたけじめが大事ではないかと思う。

日本のプロ野球は大相撲に範をとっていることがいくつかある。引退に関してもそうだ。このことを改めて確認しておきたい。

参考 横尾誠氏
【コラム】引退相撲のすばらしさ


sumo01



省エネ投球でイニングを稼ぐ/2002~2021・9回100球未満投球者一覧

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!