プロ野球だけではないが、同じ趣味を持つものが、ああでもない、こうでもないと意見を戦わせるのは野球好きの最大の楽しみだと思うのだが、ネットにはそうではない「似非ファン」がたゆとうている。
今年の春にDeNAの牧秀悟がデビューしたときに「牧って誰?」と言う見出しでブログを書いたら「牧を知らないのはけしからん」「ライターやめろ」みたいなコメントをたくさんもらった。DeNAファンにとっては牧は期待の新人だったかもしれないが、毎年、牧クラスの有望新人は12球団に履いて捨てるほど出てくる。たまたまその一人が活躍したので驚きのブログを書いたのが、一部のファンには気に入らなかったのだ。要するに「ディスった」と思われたのだ。

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「ディスる」とは、日本人のリテラシーの劣化を象徴するような言葉だ。批判や批評、非難、糾弾、悪口などネガティブな評価を表す言葉はたくさんあるが、それらネガティブ表現をぜんぶひっくるめて今どき人は「ディスる」というのだ。
「何を言っているのか、よくわからないが、褒めていないらしい、悪く言っているようだ」と言うことで「ディスるな」と言ってくるわけだ。

ライターだけでなく普通の人でも、人の評価は「是々非々」のはずだ。良いと思えば評価し、悪いと思えば批判する。何があっても肯定し、ほめちぎるのは「溺愛」であり、「親馬鹿」と言う言葉でわかるように馬鹿な人のすることだ。「お前はあの選手をディスったな、溺愛していないな」と批判するのは、立場の異なる人間の存在を理解できない、頭の不自由な人たちだと思う。

日本シリーズ最終戦で吉田正尚が守る左翼に飛んだ安打でヤクルトの全得点である2点が入った件についてブログを書いた。この視点から描いた記事は少なかったので、良かったと思っているが、オリックスファンと思しき人から「吉田は怠慢ではない」とか「コンバートなんてありえない」などの感情的な批判を貰った。
こういう人の特長として文章をしっかり読まない、あるいは読めないと言うのがあるが、吉田は動きが緩慢だったと書いたが、怠慢とは書いていない。骨折の影響を指摘するのは首肯できるが、それでも守備に就かせたのなら、それも問題だったはずだ。また今回の守備を見れば、コンバートの可能性に言及するのは当然だと思う。

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一つの意見に対し異論を唱えることから「議論」が生まれる。議論は同好の士にとって最大の楽しみだったはずだが、レベルの低いファンが増えて「ディスるのは許さないぞ」と言い出したことで、野球ファンのレベルは確実に下がった。こういうのを「贔屓の引き倒し」というのだ。

私はそういうのには絶対に負けない。以後もこのスタンスでブログを書くので、気に入らない人は読まないように。


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