1914年、大正13年生まれである。私が子供のころには、これくらいの生まれの人が現役のサラリーマンでうろうろしていたが、今となっては生存者は極めて少ない。108歳だからしかたないが。

投手陣

1914P


石原繁三は鉄道省から東京セネタース。1942年20勝26敗を記録。応召するも内地に引き上げたが、港に着いた直後に戦病死。

浅岡三郎も大阪北野中から東京セネタース。野手としても活躍。2016年まで存命が確認できていたという。その時点で102歳だ。

金子裕も鎌倉中、金鯱から東京セネタース。戦前に退団したが以後の消息は不明。

野手陣

1914H


石田政良は、名古屋軍で活躍した小柄な外野手。1940年に盗塁王。

山田伝は日系二世、俊足の外野手として盗塁王2回。飛球のへそキャッチが得意で「へそ伝」の異名あり

内海五十雄は平安中、法政大から巨人へ。主として一塁手で活躍。内海哲也の祖父。

坪内道典は1948年、プロ野球史上初の1000本安打、1000試合、中日などで指導者としても活躍。1992年殿堂入り。

加藤正二は高松中、中央大から主として中日で活躍。1943年、ナゴヤの外野を守る3人の外野手で本塁打王(4本)を分け合う。

黒沢俊夫は金鯱、大洋などを経て巨人。現役中の1947年に病死し背番号「4」が永久欠番になる。

杉浦清は32歳の1946年にプロ入り、中日、大洋、国鉄で活躍した強打の遊撃手。

石丸藤吉は名古屋軍の内野手。弟の石丸進一は投手で戦死した。

藤田宗一は36歳で国鉄入り。国鉄では監督としても活躍。ロッテに同姓同名の投手がいる。

戸倉勝城も1950年に36歳でプロ入りした強打者。3割を3回記録。大酒のみで、陽気な解説者でもあった。


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