ネット上に漂っている記事、ニュースや噂などをもとに文章を書いてメディアに投稿して「記事」にすることを「こたつ記事」というそうな。外に一歩も出ずにこたつに入ったまま、記事を書いてお金をもらっているからだ。
「こたつ記事」は、非難のニュアンスで使われる。人が発信した情報を右から左に流して適当に味付けをしてお金をもらっている、安直だ、というわけだ。
芸能記事にそういうのが多い。芸能人に会うのは大変だし、場合によってはお金がかかる。だから会わずに噂だけで記事にした、というニュアンスだ。

野球の世界でも、有名な選手や球団幹部に会うのは大変だ。私は毎月何本も取材依頼をしているが、結構プレッシャーを感じている。一方で、記事のオーダーの中には「こたつ記事」的なものも多い。そういうのを書くと「こたつ記事だ」「誰でも書ける」というコメントがヤフトピに上がる。これも残念なことだ。

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メディアに乗せる記事は、分野によらず「誰かに話を聞いた」「誰かと会って問いただした」ものばかりではない。インタビューで明らかになるニュースも確かにあるが、すでにある事実と事実から新たな発見をして、それを記事にするのも立派な文筆活動だと思う。また批判、批評、評価もそこに説得性があれば価値があると思う。

野球選手の成績が不振だと書いたら、よく「その選手に会って話を聞いたのか?」というコメントがよく来るが頭の悪いコメントだと思う。本人に会えば何でも解決するわけではない。側面資料を掘る方がはるかに重要なこともあるのだ。

メディアに乗せるために誰かに取材依頼をすると、そこで聞いた話の内容は、その記事だけにしか使えない。他のメディアでその取材の内容やこぼれ話をしてしまうのは、ルール違反だ。そういうことをしている人もなくはないが。「取材」したことを「記事」にするのは、非常に窮屈なものなのだ。

そうした記事とは別に、もう死んでしまった人について古い文献や新聞記事などを探って記事にすることもある。これも「生身の取材をしていない」という点では「こたつ記事」ではあろうが、人々がとっくに忘れてしまった事実を掘り起こして記事にするのは有意義だと思う。今、稲尾和久について掘り返しているが、なかなか面白いのだ。これ「こたつ記事」とは一線を画して「書斎記事」とでも言いたい。

ただしブログはすべて「こたつ」である。ブログのために取材をしたこともあるが、相手の理解はなかなか得られなかった。またコストもかけられない。
ブログとはこたつに座って世間のいろんな様を眺めて文章にするものなのだろう。だからノーギャラで皆さんに読んでいただく(アフィリエイトは少し入るが)。そういうものだと思う。


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