今年のセンバツの選考については、選ばれた学校にも選ばれなかった学校にも何の責任もない。

学校が選ばれるプロセスについては、問題があったわけではない。
元々選抜は「選考委員が選抜する」と言う大会であり「予選を持たない」ことをうたっていた。その経緯については昨日のブログで述べた。
特に選抜の大会運営者側が強調するのは「秋季大会は、選抜の予選ではない」ということだ。選抜で勝ち進んだからと言って、甲子園に出場できるとは限らない。

選考の基準はこうなっている
(1)大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。
(2)日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。
(3)校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。
(4)技能についてはその年度全国高等学校野球選手権大会終了後より11月30日までの試合成績ならびに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。
(5)本大会はあくまで予選をもたないことを特色する。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。

かつては、選抜候補の学校に、選考委員が抜き打ちで訪問して、監督や部員たちと面談したこともあると言う。「何を話したか」「どんな認識か」を問うたわけだが、それだけでなく「挨拶ができているか」「脱いだ上履きをきちんとそろえているか」などもチェックしたと言う。今はやっていないとは思うが、高校野球はステレオタイプな「高校生らしさ」を重視してきたのだ。

そして表には絶対出てこないが「あの監督は生意気だ」とか「あの学校は嫌いだ」とかいう選考委員の感情も影響していると思われる。高野連にはいろんな不祥事の情報が上がってくるが、その中には指導者同士の確執が背景にあることもよくある。嫌な学校、指導者の不祥事を垂れ込むのだ。陰湿な人間関係も存在するのだ。

今回の大垣日大が選出され、聖隷クリストファーが落選した件について
選考の責任者である東海地区の鬼嶋一司委員長(元慶応大)は、「聖隷クリストファーは頭とハートを使う高校生らしい野球で、2回戦、準決勝で9回に見事な逆転劇を見せた。立派な戦いぶり。個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで選考委員の賛否が分かれましたが、投打に勝る大垣日大を推薦校とする。特に投手力で差があった。春の選抜大会では失点の多いチームは厳しい。大垣日大は総合力の高いチーム。静岡同士ということは全く考慮していなかった。甲子園で勝てる可能性の高いチームを選んだ」

選考基準の(4)勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。に則ったということになるだろうが、要するに聖隷クリストファーでは、甲子園で勝てそうにないから、総合力で聖隷よりも上の大垣日大を選んだと言っているわけだ。

これ、ちょっとひどすぎるだろう。弱小と目されるチームが強い相手を破って勝ち抜くのは、スポーツのだいご味のはずだが、その結果をそのまま評価せず「もともとの力は負けた選手の方が上」と言ってしまうのなら、試合をする意味がない。

「甲子園で勝てる可能性の高いチーム」を選ぶのなら、
「勝敗にこだわらず多角的に出場校を選ぶセンバツ大会の特性を生かし、技能だけではなく高校野球の模範的な姿を実践している学校を以下の基準に沿って選ぶ」
とされる「21世紀枠」はどうなるのか?あきらかなダブルスタンダードではないのか?

高校野球全体が「制度疲労」を起こしているのは間違いないが、特に選抜の
「見識の高い偉い先生方が、全国の高校から甲子園に出場する学校を選んでさしあげる」
という上から目線の選考方法は、公平、公正が求められる今のスポーツ界では違和感、不信感でしかない。

古い高校野球指導者の空気感からして「聖隷クリストファーって、なんだあの校名は。名前が気に入らない」みたいな言葉が飛び交ってもおかしくないと思うのだ。

氏原英明さんが言うように、センバツ高校野球は一度解体して、リーグ戦にするなど出直した方がいいのではないかと思う。

付け足すならば大垣日大の西脇昂暉主将の
「聖隷さんの分まで頑張らないといけない」と言う発言も、不愉快だ。「聞いた風なことをいうな」と言いたくなる。

高校野球は欺瞞の塊だと思ってしまう。

IMG_7371



2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!