あえて言う…高校野球の「オワコン化」を防ぐには、甲子園をやめればいい
春川正明という人はミヤネ屋や、読売テレビの夕方のニュース番組でコメンテーターとして活躍していた。
関西大学野球部では外野手で、古田敦也より少し前の時代に活躍していたが、卒業後、読売テレビに入社、記者として活躍。大の野球好きで知られていたが、2019年5月に読売巨人軍球団編成本部次長兼国際部長に就任。
当時、巨人の大森剛国際部課長の息子の雄貴君に「お父さん、どうなるのかな?」と聞いたことがあるが、全く知らなかった人らしくて「さあ?」と不安げではあった。しかしわずか半年で辞任している。理想と現実は違ったと言うことだろう。
このコラムでは甲子園があるために、心の底から競技を楽しみたいと言う本来の「スポーツの意義」が損なわれている。
そこで
「乱暴な言い方だがそれは、高校や中学レベルでの全国大会を廃止することだ」
と言う提案をしている。
日本では今でいう高校生以下の全国大会が大正時代から行われていた。1915年には今の甲子園高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会が始まった。1918年には日本フットボール優勝大会が始まっている。こういう形で学校スポーツの全国大会が次々と始まった。
さらには、今の高校にあたる中等学校だけではなく、その下の高等小学校、さらには学童レベルでも全国大会が行われた。野球の中等学校全国大会が大人気となったことで、それに追随する形でいろいろな全国大会ができたのだ。軟式球の発明がこれに拍車をかけた。
身体能力に優れた子供たちが、大学野球の選手や指導者によって鍛えられ、全国大会に出ていたのだ。こうした子供たちは、郷土の代表として全国大会に出場した。藤村冨美男や鶴岡一人などは小学校時代から全国に知られた野球選手だった。
戦後も小中校の様々な全国大会が行われている。1963年にはインターハイができて、多くの競技の全国大会が行われるようになった。スポーツだけでなく文科系部活も「〇〇甲子園」と言う形で全国大会が次々と生まれた。
確かに全国大会に出るために厳しい練習に耐え、技術、体力、知力を鍛錬することには意義があるだろうが、全国大会はほぼすべてがトーナメントであり、勝たなければ次がないために、ひたすら目の前の勝利を追いかけることが目的になる。
そのために技量が劣るものは試合出場の機会がなくなる。また無理な練習で故障をする選手も出るが、そういう選手は端的に言えば捨て置かれる。
そういう形で、十代のうちに頂点を極めることが、野球をはじめ、様々な部活の目標になっていった。
しかし本来、学校教育とは「子どもの一生のため」に行うものであり、たかだか2~3年で上り詰めるために行うものではない。またその時点で技能に優れた子どものためだけに行うものでもなく、様々な進度の子どもに成長を促すために行うものであるはずだ。
全国大会があるために、個々人のすべての努力が「勝つこと」に集約されてしまう。これこそが最大の問題だったのだ。
全国大会をなくすこと、そしてリーグ戦を普及させることは非常に重要だが、改革の道は非常に険しい。なぜならこうした全国大会は、ほぼすべてが新聞などメディアの手で始められ、発展してきたのだ。朝日、毎日だけでなくインターハイは讀賣新聞が肝いりになっているし、小中学校の大会も新聞社やテレビ局が公演している。
そういうメディアから「全国大会の弊害」を声高に言う論調は出てこない。
新聞、テレビの後ろ盾で日本のスポーツは成長してきた。その特殊な事情が、ここへきてスポーツ界の発展の阻害要因になっている。
2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】
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日本では今でいう高校生以下の全国大会が大正時代から行われていた。1915年には今の甲子園高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会が始まった。1918年には日本フットボール優勝大会が始まっている。こういう形で学校スポーツの全国大会が次々と始まった。
さらには、今の高校にあたる中等学校だけではなく、その下の高等小学校、さらには学童レベルでも全国大会が行われた。野球の中等学校全国大会が大人気となったことで、それに追随する形でいろいろな全国大会ができたのだ。軟式球の発明がこれに拍車をかけた。
身体能力に優れた子供たちが、大学野球の選手や指導者によって鍛えられ、全国大会に出ていたのだ。こうした子供たちは、郷土の代表として全国大会に出場した。藤村冨美男や鶴岡一人などは小学校時代から全国に知られた野球選手だった。
戦後も小中校の様々な全国大会が行われている。1963年にはインターハイができて、多くの競技の全国大会が行われるようになった。スポーツだけでなく文科系部活も「〇〇甲子園」と言う形で全国大会が次々と生まれた。
確かに全国大会に出るために厳しい練習に耐え、技術、体力、知力を鍛錬することには意義があるだろうが、全国大会はほぼすべてがトーナメントであり、勝たなければ次がないために、ひたすら目の前の勝利を追いかけることが目的になる。
そのために技量が劣るものは試合出場の機会がなくなる。また無理な練習で故障をする選手も出るが、そういう選手は端的に言えば捨て置かれる。
そういう形で、十代のうちに頂点を極めることが、野球をはじめ、様々な部活の目標になっていった。
しかし本来、学校教育とは「子どもの一生のため」に行うものであり、たかだか2~3年で上り詰めるために行うものではない。またその時点で技能に優れた子どものためだけに行うものでもなく、様々な進度の子どもに成長を促すために行うものであるはずだ。
全国大会があるために、個々人のすべての努力が「勝つこと」に集約されてしまう。これこそが最大の問題だったのだ。
全国大会をなくすこと、そしてリーグ戦を普及させることは非常に重要だが、改革の道は非常に険しい。なぜならこうした全国大会は、ほぼすべてが新聞などメディアの手で始められ、発展してきたのだ。朝日、毎日だけでなくインターハイは讀賣新聞が肝いりになっているし、小中学校の大会も新聞社やテレビ局が公演している。
そういうメディアから「全国大会の弊害」を声高に言う論調は出てこない。
新聞、テレビの後ろ盾で日本のスポーツは成長してきた。その特殊な事情が、ここへきてスポーツ界の発展の阻害要因になっている。
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