「甲子園のような全国大会のために子供を促成栽培することには、果たして意義があるのか?」と言う疑問を呈すると、必ずこういう反論がある。

「負けたら後がないという究極の状況で戦うことで、相手に負けるかと言う気持ちが生まれ、自分の弱さを克服できるようになる」
「勝つための厳しい練習を積むことで、心身ともに成長できる」


では負けたらどうなるのか?

「負けたことの悔しさをかみしめ、次は負けるか、と言う闘争心が生まれ、さらに鍛錬しようと言う気持ちができる」

試合に出られなかった選手たちはどうか?

「自分の努力が足らなかったことを反省してさらに練習する」
「出場した仲間のサポートを一生懸命することで、試合に出ていなくても勝ったのと同然になる


だいたいワンパターンである。私は昭和頭の指導者のこの手の理屈を聞くと
「欲しがりません、勝つまでは」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「進め一億火の玉だ」

と言う戦時中のスローガンを思い出す。昔の日本は「鬼畜米英」に勝つために国民生活をなげうって戦った。個人の自由は制限され、不平を言うものは「非国民」と言われた。
戦死者は「お国のために戦った」とほめそやされた。
その挙句に、あたかも集団自殺のように日本は惨敗したわけだ。

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こういう形で、上に立つものが下々の「勝利への忠誠心競争」を煽ってダッシュさせるパターンは、日本人は本質的に大好きで、戦争で負けても以後も、ずっと続いてきたのだ。

ブラック部活、ブラック企業、みんなそうである。

スポーツは関わる全ての人の「幸せ」のために存在するのであり、やりがい搾取を正当化するような「甲子園至上主義」は、スポーツではない。


2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】

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