私が初めて大相撲の本場所を観に行ったのは、1972年の3月場所だった。ちょうど50年前だ。関脇長谷川勝敏が優勝した。
たまたま父親が溜席の切符を手配することができて、祖父とともに見た。最初の相撲見物が砂かぶりと言うのは豪勢なことではある。私は高見山のファンだった。高見山はこの年の7月場所で外国人力士初の幕内最高優勝を果たすのだ。
この頃から毎年、何日か春場所は観に行った。東京や九州の本場所も観に行った。大阪や九州はだいたい升席で、茶屋を通して切符を買った。「新大錦」「櫓」が贔屓だった。30年くらい前まで、春場所は家族で升席に座って飲み食いをしていた。今日見たら「新大錦」「櫓」も看板がなかった。
私は今の大相撲にはあまり思い入れがないので、本当にのほほんと見物している。雑感をつらつら述べていきたい。
大阪の本場所は、恐らく15年ぶりくらいだ。驚いたのは大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)の小ささだ。一番安いのから2番目の椅子席をとったのだが、この近さである。

両国国技館は1.1万人入るが、府立体育館は8000人程度。距離感が違う。私が以前よく来ていた時は、ずっと上の方にバルコニーのような席があったと思うが1987年に竣工した大改修で大きく変わったようだ。
土俵までここまで近いのなら、この席で十分だ。600ミリのレンズを持っていったが、必要ないなと思った。
2年ぶりに上限5500人のお客を入れての本場所である。
溜席には懐かしや、東西会の茶色い羽織姿が座っている。

その名の通り東西の溜席に陣取った「関西大相撲ファンのエリート」だ。東京では「溜会」、ともに正式には日本相撲協会維持会員である。砂かぶりの席は、維持会員が優先的に座ることができ、その残りが一般に販売される。うちの父親などは東西会の人と親しくてチケットを譲ってもらっていた。羽織は東西会だけだと思う。
昭和の昔、東西会には中村広三と言う名物会長がいて、向こう正面の時計係審判の隣の席で、背広を着て座っていた。初代若乃花の時代から北の湖くらいまでずーっと変わらなかった。髭の上品な紳士だったのを覚えている。
昔は「東西会」と言えば中高年の紳士ばかりだったが、若い女の子も羽織を着ている。これも随分変わったものだ。
2日目の土俵は淡々と進行する。
1月場所でも思ったのだが、今は「ソップ型(やせ型)」のお相撲さんはほとんどいない。幕内ではチェコ出身の隆の山あたりが最後ではないか。大関貴景勝なんて、こんな体型である。

花道ではこんな感じ。「花道の栓」みたいになっている。

相撲が単調になるのも無理はないと思う。
照強は、まだまともな体型だ。相変わらず大盛りの塩をまいているのだが、今日は湿度が高かったためか塩があまりばらけず、塊で落ちていく。


最近は、仕切り2回目で立つのが当たり前になっているようで、時計係審判が行司に手を挙げて合図をしなくなっているようだ。幕内の人数が増えたために、仕切り時間が短くなっているのではないか。
昔は時間前に立つこともあったが、それも実質的になくなったのではないか。
それから物言いのとき、土俵に上がる審判がソーシャルディスタンスをとっているように感じられた。どうなのかな?

場内を親方が見回っている。髷をつけたままの親方が多い。コロナのおかげで引退相撲、断髪式ができないのだろう。

懸賞幕にはこういうのも。

「メッセンジャーRNAのモデルナ」とアナウンスしていたから、例のワクチンではあろう。どうせなら「ファイザー」「ファイザー」「モデルナ」と幕を続けてもらって混合接種のアピールをしてくれればいいのに、と思った。

今の立行司、式守伊之助は例によって「いちのじょほほほー」と言っているが、三役格の木村玉治郎は恰幅が良く、声も良い。名行司27代木村庄之助の愛弟子だ。ただ61歳。伊之助とは2つしか違わないから、立行司になっても2年で引退することになる。今の伊之助は庄之助にはふさわしくないと思うが、玉治郎を伊之助を飛び越して庄之助にすることはできないのかとも思う。
土俵そのものは1月場所に比べてあまり面白くなかった。簡単に落ちるお相撲さんが多くて、淡白な土俵だったのだ。
その挙句に横綱照ノ富士が負けた。土俵の魅力があまり感じられなかったのは残念だ。



2021年山﨑福也、全登板成績
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この頃から毎年、何日か春場所は観に行った。東京や九州の本場所も観に行った。大阪や九州はだいたい升席で、茶屋を通して切符を買った。「新大錦」「櫓」が贔屓だった。30年くらい前まで、春場所は家族で升席に座って飲み食いをしていた。今日見たら「新大錦」「櫓」も看板がなかった。
私は今の大相撲にはあまり思い入れがないので、本当にのほほんと見物している。雑感をつらつら述べていきたい。
大阪の本場所は、恐らく15年ぶりくらいだ。驚いたのは大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)の小ささだ。一番安いのから2番目の椅子席をとったのだが、この近さである。

両国国技館は1.1万人入るが、府立体育館は8000人程度。距離感が違う。私が以前よく来ていた時は、ずっと上の方にバルコニーのような席があったと思うが1987年に竣工した大改修で大きく変わったようだ。
土俵までここまで近いのなら、この席で十分だ。600ミリのレンズを持っていったが、必要ないなと思った。
2年ぶりに上限5500人のお客を入れての本場所である。
溜席には懐かしや、東西会の茶色い羽織姿が座っている。

その名の通り東西の溜席に陣取った「関西大相撲ファンのエリート」だ。東京では「溜会」、ともに正式には日本相撲協会維持会員である。砂かぶりの席は、維持会員が優先的に座ることができ、その残りが一般に販売される。うちの父親などは東西会の人と親しくてチケットを譲ってもらっていた。羽織は東西会だけだと思う。
昭和の昔、東西会には中村広三と言う名物会長がいて、向こう正面の時計係審判の隣の席で、背広を着て座っていた。初代若乃花の時代から北の湖くらいまでずーっと変わらなかった。髭の上品な紳士だったのを覚えている。
昔は「東西会」と言えば中高年の紳士ばかりだったが、若い女の子も羽織を着ている。これも随分変わったものだ。
2日目の土俵は淡々と進行する。
1月場所でも思ったのだが、今は「ソップ型(やせ型)」のお相撲さんはほとんどいない。幕内ではチェコ出身の隆の山あたりが最後ではないか。大関貴景勝なんて、こんな体型である。

花道ではこんな感じ。「花道の栓」みたいになっている。

相撲が単調になるのも無理はないと思う。
照強は、まだまともな体型だ。相変わらず大盛りの塩をまいているのだが、今日は湿度が高かったためか塩があまりばらけず、塊で落ちていく。


最近は、仕切り2回目で立つのが当たり前になっているようで、時計係審判が行司に手を挙げて合図をしなくなっているようだ。幕内の人数が増えたために、仕切り時間が短くなっているのではないか。
昔は時間前に立つこともあったが、それも実質的になくなったのではないか。
それから物言いのとき、土俵に上がる審判がソーシャルディスタンスをとっているように感じられた。どうなのかな?

場内を親方が見回っている。髷をつけたままの親方が多い。コロナのおかげで引退相撲、断髪式ができないのだろう。

懸賞幕にはこういうのも。

「メッセンジャーRNAのモデルナ」とアナウンスしていたから、例のワクチンではあろう。どうせなら「ファイザー」「ファイザー」「モデルナ」と幕を続けてもらって混合接種のアピールをしてくれればいいのに、と思った。

今の立行司、式守伊之助は例によって「いちのじょほほほー」と言っているが、三役格の木村玉治郎は恰幅が良く、声も良い。名行司27代木村庄之助の愛弟子だ。ただ61歳。伊之助とは2つしか違わないから、立行司になっても2年で引退することになる。今の伊之助は庄之助にはふさわしくないと思うが、玉治郎を伊之助を飛び越して庄之助にすることはできないのかとも思う。
土俵そのものは1月場所に比べてあまり面白くなかった。簡単に落ちるお相撲さんが多くて、淡白な土俵だったのだ。
その挙句に横綱照ノ富士が負けた。土俵の魅力があまり感じられなかったのは残念だ。



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