河瀨直美が東大での祝辞で「『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」と問いかけたこと、同様に何人かの著名人が「ロシアもウクライナも悪い」と言っていることが、決定的に間違っていることを私は足りない頭で何度か説明しようと思った。
この話は「過去のお話」ではなく、現在進行形で続いている「惨事」だから、暢気に議論を戦わせるべきではない、と言ったのだが、自分の心の中では釈然としない部分もあった。

しかしデイリー新潮のこの説明で、合点がいった。

東大入学式の祝辞「ロシアを悪者にすることは簡単」が炎上 「それでも悪いものは悪い」と言い切ってもいい理由

この記事によると、河瀨直美のような思考は「価値相対主義」に近いと言う。
この世には絶対的なものはなく、すべて相対であり、正義の概念も見方を変えれば変わってしまう。

だから河瀨は、ウクライナ侵略もロシア側からの視点で見れば「違った正義」が見えてくると言っているわけだ。「ロシアが悪いですよ」と言いながらも。

しかしこうした理屈には「論理の限界」があるのだと言う。こう主張しているのは数学者、藤原正彦。作家新田次郎の息子だ。藤原正彦は、最も重要なことは論理で説明できないと言う。
「重要なこと」とは「人を殺してはいけない」ということ(ほかにあるのかどうかは知らない)。
「なぜ人を殺してはいけないのか」と言う問いには「論理で絶対の正解を導くことは極めて難しい」という。結局「人を殺すこと」は「駄目だから駄目」に行きつく。

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ロシアはウクライナを侵略し、多くの兵士を殺したほか、一般人を大量に殺害している。もちろんウクライナ軍もロシア兵を殺しているが、ウクライナは「自衛」のために抵抗しているのであり、ロシアが襲い掛かってこなければ、ウクライナによるロシア兵の殺害は起こりえなかった。
つまり「殺意」をもってウクライナに襲い掛かったのはロシアだ。だから論理を超越して「ロシアが駄目」という結論に行きつく。

ロシアはウクライナではネオナチがロシア系住民を虐殺している、ロシアはロシア系住民を保護するためにロシアに侵攻したと言っている。これはロシアが「侵略」が絶対的な「悪」であることを認識しているから、フェイクニュースを発信してまで自身を正当化したのだという理屈が成り立つ。

これを否定して、殺人、侵略戦争までも「相対化」してしまえば「侵略されるのも意味がある」「強制連行が悪いとはいえない」「破壊された街もまた美しい」等々、いくらでもおかしなリクツをひねり出すことが可能になってしまう。


そういう言葉の遊びに何ほどの意味があるのか、ということだ。
今回のウクライナ侵略について轟々たる非難が世界から起こる中で、「ロシアだけが悪いとは言い切れない」と言って見せるのは、「知的な態度」のように見えるかもしれないが、最も愚かな態度だと言えるのだ。


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